リンゴ・スターのソロ活動を振り返る20曲

思い出のフォトグラフ(1973年)

ミック・ジャガーの結婚式からカンヌ映画祭までの期間を南フランスのヨットで過ごしながら(なんて70年代的なんだ)、リンゴは後にソロ活動で初の全米ナンバー1ヒットとなるこの曲について、ジョージ・ハリスンとの共同作業に着手した。リンゴは膨れ上がるようなコラール(※賛美歌形式の合唱)で彼の声を包みながら際立たせることを認め、フィル・スペクターの元々のスタジオ仲間のジャック・ニッチェが壮大なウォール・オブ・サウンドのアレンジを作り上げ、スタジオ・ミュージシャでサックス奏者のボビー・キーズが独特の力強いソロで突き抜けた。

アイム・ザ・グレイテスト(1973年)

この歌を書いたレノンは、高慢な歌詞によって彼が(またしても)とんでもない男だと思われることに気づいていた。だがリンゴはサージェント・ペッパーの分身、ビリー・シアーズを蘇らせることでその皮肉っぽい自信たっぷりの態度を演じることに成功した。伝説のポスト・ビートルズのグループ、ラダーズの4人がすべてフィーチャーされている唯一の録音となる。当初は、ジョンとジョージとリンゴに加え、ポールの代わりにクラウス・フォアマンがベースを弾くと噂されていた。

「ユーアー・シックスティーン(1973年)

目に見えて明らかな年齢的違和感を気にせずに(1973年にはスターは33才)、なぜかつての可愛らしい少年は『トレイン・ケプト・ア・ローリン』のロカビリー・スター、ジョニー・バーネットが1960年のティーンのアイドルに売り込もうとしていたこの曲をリバイバルしたのだろうか。1つの手がかりはバーネットのオリジナル(約1分短い)がちょうど数ヶ月前に映画『アメリカン・グラフィティ』で使用されたことかもしれない。リンゴのバージョンは、リンゴの2度目にして最後の全米ナンバーワン・ヒットとなったシングルである。よりラグタイム風のピアノ、抑えめのロカビリーのヒカップ、明らかにハリー・ニルソンへの敬意に溢れたドゥーワップのバック・ボーカル、ポール・マッカートニーのカズーまたは口真似、そしてそれによる昔の船乗りの歌「ホワット・シャル・ウィ・ドゥ・ウィズ・ア・ドランケン・セイラー?」のメロディー部が曲中で歌われている。

Translation by Kise Imai

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