マイケル・ジャクソンの新作ドキュメンタリーからわかる10のこと

2.ジャクソン5とエピック・レコードとの契約は、愚かな移籍だとみられていた

70年代はじめ、モータウンは数々のビッグ・アーティスト達と衝突しており、特にマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーは、自分たちの作品をもっと自身でコントロールしたがっていた。ジャクソン5もまた、その辣腕でレーベルを牽引してきたベリー・ゴーディーとのあいだで似たような衝突を起こしていたが、モータウンを離れエピックへと移籍することで決着。(ジャーメインだけはモータウンに残った。当時の彼の妻はゴーディーの娘だった)。
ゴーディーは、『ジャクソン5』というグループ名の権利は手放さず、結果、マイケルと兄弟たちは『ジャクソンズ』へとグループ名を変更した。『ジャクソン5』の成功があったにもかかわらず、エピックのレコード制作の幹部は「評判のよい契約ではなかった」と濁す。「彼らにはアニメのシリーズ(※訳注:『それいけ!ジャクソン・ファイブ』)があったし」と彼はドキュメンタリーで話している。「成功は疑わしかったね」と。

3.フィラデルフィア・ソウルへの信奉はジャクソンズの進化に不可欠なものだった

大多数のリスナーは、11歳の神童だったマイケル・ジャクソンと、世界征服を果たした『スリラー』時代のマイケル・ジャクソンならご存知だろうが、その過渡期にジャクソンズがフィラデルフィアで、ギャンブル&ハフと一緒にレコードを作っていたことを知る人は少ない。このソングライター/プロデューサーのデュオは、当時のディスコカルチャーのセクシーで、ダイナミックな楽曲を生み出すことが得意で、オージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ、ビリー・ポールらと仕事をしてきた。フィルムでは、クエストラヴが、「ジャクソンズは、子供向けとして売り出されていた。可愛い子供のグループがその後正当な評価を受けるようになったことはないだろう?」と説明する。だがギャンブル&ハフの助けで、ジャクソンズはその道を歩み始めた。

4.キーボード奏者グレッグ・フィリンゲインズは、マイケルとジャクソンズの秘密兵器になった

フィリンゲインズは、ジャクソンズの1978年のアルバム『デスティニー』の制作中に起用された。グループが『シェイク・ユア・ボディ』のデモをまとめようとしていた頃だ。フィリンゲインズは、オリジナルのレコーディングについて「十分にリズミカルとは言えなかったんだ」と話している。トラックに新しいビートを加えようと改修しているフィリンゲインズを見て、ジャッキー・ジャクソンは、「こいつは何をしているんだ?と思ったよ。聴かされるまで待っていたけれど、録音を聴いたら、すごい!こいつは爆弾みたいだ!それまで聴いたことがないビートだったよ」と語っている。彼はジャクソンズのプロジェクトの他に、マイケルのビッグ3、すなわち『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『バッド』でプレイをしている。

Translation by Kise Imai

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