モハメド・アリ、戦い続けた人生

1984年、アリはパーキンソン症候群であると診断された。その5年前から、アリは手の震えと吃音(きつおん)に悩まされていた。妻のロニーによると、診断は後にパーキンソン病に変更された。そこから30年間、パーキンソン病と脊髄狭窄(せきずいきょうさく)症の手術のため、アリの身体は衰えをみせ、動作が不自由になった。2012年のロンドン五輪開会式では、アリは立っているのがやっとの状態で、コミュニケーション能力も損なわれていた。アリはほとんどの時間をアリゾナ州パラダイス・ヴァレーの自宅で、ウェスタン映画と白黒時代のテレビ番組を見て過ごした。インタヴューに応じることもほとんどなくなった。アリの妻によると、カメラに写る自分の姿が気に入らなかったからということだった。

闘病にも関わらず、アリは長年にわたって活発に活動し続けた。アリは今ではすっかりセレブリティになり、かつて彼のことを嫌った権力者層からも敬意を表されるようになった。1987年のトーナメント・オブ・ローゼズ・パレードに米国憲法制定200周年を祝って登場、1996年のアテネ五輪では聖火台に点火した。2001年のマイケル・マン監督作品、ウィル・スミス主演の『ALI アリ』は評論家の称賛を受けた。アリはまた、社会活動家でもあり続けた。1991年にはイラクに飛び、アメリカ人の人質解放についてサダム・フセインとの交渉を試みている。さらに2012年には国連平和大使としてアフガニスタンを訪問している。

アリは、1986年に結婚した4人目の妻ロニーと、9人の子ども(7人の娘、2人の息子)を残して先立った。末娘のレイラは1977年生まれで、後にプロボクサーとなり、2007年に引退するまで無敗だった。

「人生で最も悲しい1日だ。モハメド・アリのことは大好きだった。私の友だちだった。アリは永遠に死なない」。アリのビッグマッチをプロモートしてきたドン・キングはAP通信に語った。「マルチン・ルーサー・キングのように、アリの精神は生き続ける。彼は世界を体現していたんだ」

Translation by Kuniaki Takahashi

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