レッチリのフリーが語る、スノーボード事故とバンドの新たな方向性とは

─衝突した瞬間はどんな感じでしたか?どれくらい痛みがありました?

最初に骨が折れた時すごく痛いと思ったけど、その後すぐに腕が腫れ上がってきて、腕を強く捻っただけなんだと思った。骨折したことを認めたくなかったんだよね。皆が俺を小さなそりに乗せようとしてくれたから、スキー場のパトロール隊に下まで連れて行ってもらえることになったんだけど、俺は拒否して、スノーボードに乗って自分で山を下りた。腕を捻挫しただけだと思っていたけど、山を下りた時、「ああ、本当に腕を折ったんだな」って思った。それが、救急車に乗せられた時だった。最悪でも、腕が折れただけで、1、2ヶ月ギプスで固定する程度で済むと思っていたよ。それから、女医さんが俺のレントゲン写真を見てこう言った。「骨の大きな箇所が折れています。折れているのは5ヶ所で、神経の損傷もあり、大規模な手術が必要になるでしょう」って。

─事故が起きたのはどれくらい前のことですか?

この事故が起きたのは昨年の2月のことだよ。ちょうど、バンドがアルバムのレコーディングを始める頃だったんだ。俺はかなり落ち込んで、既に作曲を終えていたのにアルバムのレコーディングができなくなったわけだから、俺のせいで皆の期待を裏切ることになると感じるようになった。本当にすごく悲しかったよ。でも、長期間のリハビリにも取り組んで、ジョン・イタムラ先生っていう最高の外科医に担当してもらえた。それから回復して、今では完全に元通りさ。

─ベースの演奏に事故の影響が永遠に残るのではないかと、ある程度不安はありましたよね。

もちろんだよ。演奏していなかった時期はそれほど怖くなかったけどね。全く弾かなかった時期が4、5ヶ月はあって、一日中ソファに座って過ごしていたんだ。その間はずっと、また演奏できるようになりたいってことだけを考えていたな。また弾き始めた頃がとにかく怖かったよ。小さな音をひとつ弾くだけで、腕に激痛が走ったんだ。ものすごい痛みだった。最初の1ヶ月は、一番単純なものを弾こうとしていただけなのに、手が言うことを聞かなかった。「ちくしょう」っていう思いしかなかった。今までしてきたことができなくなるとか、自由になれないとか、自分のことができなくなってベーシストという仕事を続けられなくなることの方が、二度と演奏できなくなることよりも怖かったよ。

バンドに合流してアルバムのレコーディングができるようになるまで約3ヶ月かかった。それでもまだ100%回復したとは言えない状況だった。あの頃は、まだ自分の手でやりたくないと思うようなこともいくつかあったけど、今は完全に元通りで絶好調さ。幸せだし、ありがたい気持ちだよ。

Translation by Shizuka De Luca

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