2パックの母、亡き息子を偲び設立した基金と芸術センターの現在

トゥパック・シャクールの母親が、亡き息子を偲んで基金を立ち上げた。 (Photo by Ron Galella/WireImage)

ヒップホップのアイコンのレガシーでさえ、ジョージア州の若者向けデイキャンプを維持し続けることはできなかった。



2パックが凶弾に倒れた翌年の97年、母親のアフェニ・シャクールはトゥパック・アマル・シャクール基金を立ち上げ、年に一度、アトランタ周辺の恵まれない子供たちに、芸術を学ぶ機会を提供するデイキャンプを開催していた。彼女はこの才能あるラッパー、俳優、ダンサーだった息子が、ボルチモア芸術高校でどう学んだかをヒントにしたという。当時、クラック・コカインを使用していたアフェニ・シャクールのこの決断は、極めて重大なものだったといえる。長年のデイキャンプでは、ジャスミン・ガイが演技、メアリー・J・ブライジの作品に関わってきたジュネラ・セグラ・クーパーとアッシャーがダンス、そしてアフェニ・シャクールの弁護士を12年務めたディナ・ラポルトが、アーティスト志望の若者が知っておくべき著作権と知的財産に関する法律を教えた。そして2005年6月11日、トゥパック・アマル・シャクール芸術センターは、ジョージア州ストーン・マウンテンにある2パックが母親に購入したベッドルーム6室のある自宅のすぐそばに、基金の正式な本部としてオープンした。



かつての塗料店がダンススタジオに生まれ代わり、壁には2パックの数々のプラチナディスクとゴールドディスクが飾られていた。隣接する映画館は、改築のために建物内が取り壊された。また、約2万4000平方メートルの木に覆われた庭園には、2.1メートルほどの亡き2パックの銅像があった。その銅像の2パックは、『アイ・エイント・マッド・アッチャ』のミュージック・ビデオ内の守り神の2パックと同じスーツを着て、彼が99年に発表した詩集『コンクリートに咲いたバラ』を手に持ち、中世風の十字型の池に建っていた。



しかし現在、その銅像は姿を消している。土地は2015年12月に売却され、アフェニ・シャクールの25人の家族が、敷地内にあった飾り額、昔のミキシング・コンソール、マカヴェリ・ジーンズなどの思い出のアイテムを運び出した。しかし、建物の煉瓦は残ったままになっている。資金集めのために最大1000ドル(約10万円)で後援者が購入した煉瓦は、名前が刻印され池に敷き詰められている。そこには、エミネム、ドクター・ドレー、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズの名前を確認することができる。ディナ・ラポルトは、センターのプロモーションをするために、アフェニ・シャクールに同伴して、MTVの2003年のドキュメンタリー映画『トゥパック:レザレクション』などの豪華なプレミア試写会に参加していた。


Translation by Miori Aien

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