メタリカの『ブラック・アルバム』、あなたが知らない10のこと

8. アルバム制作中、バンドメンバーの4人中3人が離婚を経験した。

アルバム『メタリカ』の暗いブルース調の雰囲気は、バンドが取った新しい音楽的な選択によるものだけではない。ラーズ・ウルリッヒ、カーク・ハメット、ベーシストのジェイソン・ニューステッドは皆、実生活でもブルースを歌っていたのだ。

「ラーズとジェイソンと俺は離婚を経験した」と、2001年、ハメットはプレイボーイ誌に語っている。「俺は精神的に参っていた。そういう罪悪感とか挫折感を音楽に向けて、前向きな気持ちを得ようとしたんだ。それはジェイソンとラーズも同じで、『ブラック・アルバム』のサウンドがこんな感じなのも、この件によるところが大きいと思う」


9. 『ナッシング・エルス・マターズ』のビデオにカーク・ハメットが出演しているが、彼は実際この曲で演奏していない。

『ナッシング・エルス・マターズ』は元々、ジェイムズ・ヘットフィールドが当時のガールフレンドに宛てたラヴソングとして書いたものである。彼女と電話で話している最中に上の空でギターの弦をかき鳴らしながら見出したメロディが土台となっており、メタリカはこの曲で大きな転換期を迎えた。ウルリッヒは、ヘットフィールドが録音したラフ案のカセットテープを聴いた後、アルバム『メタリカ』のためにこの曲のレコーディングを行うべきだと確信した。その後、ヘットフィールドが、曲のアコースティック・イントロとブルース調のギターソロを自ら演奏してレコーディングを実施したため、カーク・ハメット不参加という数少ないメタリカ楽曲のひとつが生まれたのだ。

「ステージで自分が演奏することになるから、あのイントロのすべてを学び直す必要があった。当時、あのパートは少し威圧的だと思っていたよ。メタリカにはあんな風に始まる曲はなかったからね」と、2012年、ハメットは振り返っている。

10. ジェイムズ・ヘットフィールドは、『ナッシング・エルス・マターズ』のせいでメタリカのファンが「去ってしまう」のではないかと心配していた。

1991年8月3日、メタリカはマディソン・スクエア・ガーデンで無料の試聴パーティを開き、アルバムを初披露するという前代未聞の手段を取った(「あのアルバムは俺たちよりも先にガーデンに出たんだ」と、ラーズ・ウルリッヒは後に冗談を言っていた)。その4日前にリリースされた『エンター・サンドマン』を除いて、参加した1万人のファンはアルバム『メタリカ』の音楽を初めて聴く機会を得たわけだが、とりわけ、ジェイムズ・ヘットフィールドは、『ナッシング・エルス・マターズ』に対してファンがどんな反応をするのか不安になっていた。

「『ナッシング・エルス・マターズ』がかかるのをただ待っていたよ」と、1992年、ヘットフィールドは伝記『Metallica Unbound』の著者K.J.ドートンに語っている。「参加者が顔を見合わせて帰っちゃうんじゃないかって見たくて(笑)! 皆が仲間同士でどれくらいプレッシャーをかけ合うのか気になっていた。例えば、「お前はこの曲好き?」、「どうだろ、お前は好きなのか?」っていうやり取りがあるとか」。だが、ヘットフィールドにとって幸いなことに、この曲はなかなか好評だった。「皆この曲をかなり気に入ってくれたから、本当に良かったよ」と彼は振り返っている。


Translation by Shizuka De Luca

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