ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実

レノンの不満の引き金を引いたのは、彼が長く続けていた内省だった。1966年前半、ビートルズには珍しくグループとしての取り組みはなく、レノンにとって、世界的な名声を得てから初めてのまとまった休みだった。出不精の麻薬常用者だったレノンは幻覚剤を使い、新聞や本を読み、思考範囲を広げることに時間を費やしていた。この時期レノンは、LSDの研究者であるティモシー・リアリーによる『チベット死者の書』の解釈から、ヒュー・J・ショーンフィールドのベストセラー『The Passover Plot』まで、幅広く世界の宗教について読んでいた。『The Passover Plot』には、イエス・キリストは人間の男で、そうとは知らない弟子の助けを借りて奇跡をでっち上げた、という賛否両論ある説が記されている。

頭の中にはショーンフィールドの本があり、さらにクリーヴとの友人関係で口が滑りやすくなっていた。そして宗教のない世界を想像するよう後に世界に訴えることになるレノンは、素晴らしく率直に口を開いた。

『ビートルズの生き方とは?ジョン・レノンはこう生きる』というタイトルのクリーヴの記事は、1966年3月4日、世に出た。2000語の記事の中からキリストに関する発言が注目されたとしても、そのほとんどは困惑に近い反応だった。「英国では全く注目されなかった。"べらべらしゃべっているけど誰だ?"ってね」1974年、レノンはこう振り返った。多くの人にとって、それは25歳のポップスターのふざけた発言でしかなかった。

しかもレノンは、特に革新的な話をしていたわけでもなかった。ビートルズの人気を引き合いに出したことを苦々しく思う少数派もいるかもしれないが、教会に足を運ぶ人が激減していたことは誰の目にも明らかだった。キリスト教支持者も、デイリー・メール紙やチャーチ・タイムズ紙の論説と似たような議論を展開していた。"キリスト教"という言葉は、英国では英国国教会と同意語になっていた。そして多くの人が英国国教会を、ばかばかしいほど現実離れした骨抜き団体だと思っていた。尊敬され、崇拝されるのではなく、頻繁にピーター・クック(俳優)やアラン・ベネット(劇作家)、ピーター・セラーズ(喜劇俳優)といった人気風刺作家たちのサンドバッグになっていた。ジョークのネタに成り下がっていることを自認している聖職者たちは、自分たちのイメージを修正しようと躍起になっていた。

マッカートニーは、「彼ら自身、信者が少ないと愚痴をこぼしていた」と『アンソロジー』シリーズのインタビューで答えている。「僕らのライブには、以前は大勢のカトリック神父が来ていた。よく楽屋で議論していたんだ。"ゴスペルを歌えば関心を持ってもらえる。ありきたりの古びた讃美歌を歌うんじゃなくて、もっと生き生きとしたことをしなきゃ。みんなもう讃美歌は聞き飽きて、心に響かないんだ"と僕らは言った。教会はやり方を変えるべきだと強く感じていたんだ。僕らはむしろ、熱心な教会支持者だった。ジョンが伝えようとしていたのは、何か凶暴な反宗教的考えではなかった」

イブニング・スタンダード紙の編集者は、ジョンの"キリスト"発言にはトップ記事にする価値も、ましてやキャッチコピーにして強調する必要もないと判断した。ビートルズに襲い掛かかろうと常にチャンスをうかがっていた英国の他のマスコミでさえ、この発言に食いつくことはなかった。ニュースで取り上げられることもなく、コラムニストや論説委員がコメントすることもなかった。この記事が、ニューヨークタイムズを含む世界中の出版社に配信された時も、特にコメントもなく受け流された。

Translation by Cho Satoko

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