ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実

そしてエプスタインは、この論争を考慮しコンサートを中止するのであればそれもやむを得ないとプロモーターに伝え、会見を締めくくった。ビートルズはシカゴでツアーを開始すべく8月11日にロンドンを出発した。



しかし、レコードを燃やす抗議行動は続き、危険な状況が続いた。レノン自身が声明を出す必要があることは明らかだった。リンゴは、『アンソロジー』で「ジョンは謝罪しなければならなかった」と語っている。「ああいう発言をしたからじゃなくて、僕らの命を守るためにね。ジョンだけでなくバンド全体に、かなり深刻な脅迫状がたくさん来ていたんだ」

4人の到着後、シカゴのアスター・タワーズ・ホテルで記者会見が開かれることになった。エプスタインと広報担当のバーロウは、状況が深刻であることをはっきり伝えるため、レノンを呼び出した。「思いあがった発言をしないかハラハラしていた」と、バーロウは後にフィリップ・ノーマンに語っている。その心配はいらなかった。ツアーも自分の命も危機的状況にあるという事実に直面したレノンは崩れ落ちた。バーロウによるとレノンは、「頭を抱えてすすり泣き、こう言った。"言われた通り、何でもする。僕の発言のせいでツアーが全てキャンセルされてしまったら、僕は一体どんな顔でメンバーに会えばいい?"」

有罪宣告を受けたように頭をもたげ、レノンはバーロウの27階のスイートに移動し、その後すぐ30人の国際報道陣と対面した。「話したくなかった。殺されると思ったからね。(米国では)物事をすごく深刻に捉えるんだ」とレノンは回想している。「銃で撃っておいて、後になってそんなに重要なことじゃなかったって気付くような人たちだ。会見には出たくなかったけど、ブライアンやポール、他のメンバーにも出るよう説得された。僕はとにかく怯えていた」

それはレノンを見れば明らかだった。ビートルズの会見は昔から陽気だったが、この時は陰鬱だった。レノンは手が震えないよう両手を固く組み、落ち着かない様子でひどく居心地が悪そうだった。「ジョンがあんなに緊張しているのは初めて見た。自分の発言の重さに気が付いたんだ」とマッカートニー。

Translation by Cho Satoko

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