I.W.G.Pのモデルとなった、HIP HOPアーティストHOKTが語る壮絶の半生(前編)

By Joe Yokomizo
HIP HOPアーティストHOKTが語る壮絶の半生(前編)
90年代後期の池袋のカラーギャングを題材にしたドラマ『池袋ウエストゲートパーク(I.W.G.P)』のキング役のモデルとなった、日本のリアル・ギャングOG、リアル・ラッパー、HOKT。彼が自身の音楽史の中で、最も危険なアルバム『G in RHYMES SEASON2』をリリースした。

自身7枚目となるアルバムに刻まれたHOKTの人生をガチで告白してもらった。
先ずは、故郷北海道時代から原宿ピンクドラゴン時代まで。10代の体験だが、マジでヤバイ。

―アルバム『G in RHYMES SEASON2』のリード曲『Tokyo Diamond City』のPVには、池袋時代の激悪時期の写真も出てきますね。HOKTさんは、リリックの中だけじゃなくリアルにヤバイ人生を送ってきたんだなぁと。その話は後ほどたっぷり伺いますが、音楽のルーツはどの辺だったんですか?

子供の頃からレコードを集めてて。ガンプラよりレコードみたいな。ドラクエよりレコード(笑)、そんな小学生でした。もっぱら買うレコードはもちろん歌謡曲。安全地帯からおニャン子クラブまで(笑)。洋楽よりは邦楽。カセットテープもよく買ってたな。近所の電気屋さんで。

かっこつけてマイケルとかマドンナ、シンディーローパーも買ってたけどね(笑)。
レコードのスピーカーからラジカセ使ってテープに録音して、MIXテープ作って友達と交換したりしてた。小4の時かな。それからロックやパンクも聴くようになってさ。
最初にコピーした音楽はTHE MODSっすね。曲は『不良少年の詩』。小学校5年生くらいの時に同級生のお兄ちゃんが中学生でバンドの練習を車庫でやっていて、よく聴きに行ってたんだ。"カッコいいなー。バンドやりたいなぁ"って。それが初期衝動。

僕の両親は学校の先生と教育委員会だったんです(笑)。バンドなんてもってのほかで、絶対にやらせてくれないわけですよ。ジャズとかタンゴとかが好きな家族でした。親父はニューミュジックも好きでしたね。そのお兄ちゃんたちは週末になると車庫に集まり、楽器の音が近所に響きわたるみたいな。負けずに向かいのおっちゃんは演歌をでかい音でカラオケ歌うみたいな。笑っちゃうよねー。
その同級生のお兄ちゃんがTHE MODSのコピーをやってて、ドラムを教えてもらったのがきっかけでしたね。子供の頃から海外はいろいろな国に行って、カルチャーや歴史を感じてきました。厳しい親だったんだけど、夏や冬休みになると日本より海外みたいな感じで、育った町が小さな町だったので、世界は広いってことを見せたかったんだと思ってます。そしてロックやパンクが好きになってきた小5の時に、テレビでよく見ていた原宿に行ったんですよ。まだホコ天があった時代で、JUN SKY WALKER(S)とか。沢山の原宿カルチャーが混ざり合っていて。原宿駅前の向かいのテント村に行って、"やっべえ、ガーゼシャツだあぁぁ!"みたいな。ラバーソール買って帰りましたよ(笑)。

その辺りからどんどんファッションやサブカルチャーにもハマっていきました。
ライヴハウスで初めて演奏したのは15の時。「夕焼けまつり」っていう北海道の北見市にあるライヴハウスで演奏したんです。

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