Rolling Stone

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram

ボン・ジョヴィがロックの殿堂入りを果たした理由

Maura Johnston | 2017/12/28 18:00

| 1985年4月、中野サンプラザで行われた来日公演の様子(Photo by Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images) |


ボン・ジョヴィの早い段階での成功は、当時のラジオの影響力を物語っている。1982年、ジョンは数名のセッション・ミュージシャンとともに、彼の従兄弟のトニー・ボンジョヴィが所有するニューヨークの伝説的スタジオ、パワー・ステーションでデモテープを制作した。ジョンはその時に録音された曲の一つ、家出をした不良少女を描いた「夜明けのランナウェイ」を、翌年にローカルのバンドを積極的に探していたニューヨークのラジオ局WAPPに持ち込む。当時未契約だったアーティストたちの曲をコンパイルした『New York Rocks 1983』(ロングアイランド出身のハードロックバンド、ツイステッド・シスターズも名を連ねていた)に収録されたことをきっかけに、同曲は全米のラジオ局でエアプレイされるようになる。

ジョン・ボン・ジョヴィの甘いルックスも手伝って、バンドはMTVを中心に絶大な人気を誇った。彼らの成功はペンシルバニア出身のブルージーなシンデレラや、グラムロック風のスキッド・ロウ(ギタリストのデイヴ・“ザ・スネイク”・セイボは、ジョンの近所で生まれ育っている)等のバンドが脚光を浴びるきっかけにもなった。バンドは西側諸国のアーティストたちとともに、1989年に旧ソ連で開催されたモスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバルに出演するなど、アメリカを代表するバンドとしてその人気を世界中に拡大していった。また同年には、若いカップルのロマンスを描いた「リヴィング・イン・シン」のミュージックビデオが、主役の女性が聖餐を受けるシーンを理由に、MTVで急遽放映中止となったことも話題となった。

バンドは『MTVアンプラグド』の誕生にも貢献した。プロデューサーのジョエル・ガレンはMTVのドキュメンタリー『I Want My MTV』内で、同チャンネルにおける屈指の人気プログラム『MTVアンプラグド』は、1989年のMTVビデオ・ミュージック・アワードで披露された、ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラによるアコースティックセット2曲にインスパイアされて誕生したと話している。また共同プロデューサーのジム・バーンズも、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」と「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」のメドレーがなければ、同プログラムの企画が通ることはなかったと話す。ジョンとツインネックのアコースティックギターを抱えたサンボラが見事なコーラスハーモニーを披露したその日以来、ともすれば浅はかなイメージを与えがちなバンドマンたちによる親密なアコースティックセットは、アワードにおける定番パフォーマンスとなった。またバンドの後年におけるカントリーへの傾倒も、この時のパフォーマンスに端を発していると考えられる(ナッシュビルとニュージャージー東部の類似性も無関係ではないだろう)。

純粋主義者たちから冷笑され、時にガンズ・アンド・ローゼズの陰に隠れながらも、イギリスのデフ・レパードに対するアメリカからの回答と呼ばれたボン・ジョヴィは、分かりやすさとキャッチーなアンセムの数々によって、80年代のハードロック界を代表する存在となった。来年4月に行われる授賞式は、80年代を席巻したムーヴメントの正当性、そして初期MTVの影響力を改めて立証する場となるだろう。
Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDED

おすすめの記事