ー それでもあなたは、一つの場所に固執するのを嫌っていますね。ヤードバーズやジョン・メイオール・ブルースブレイカーズから離れ、クリームとデレク・アンド・ザ・ドミノスを解体しました。ベン・パーマーがドキュメンタリーの中で言っているように、僕は強い人間関係を築けるんだが、翌日になると去ってしまう。そう、変わり者なんだ。でも音楽に関しては決してそんなことはなかった。昔の曲でも、今なお初めて聴いた時と同じ感覚になれるんだ。クリーム時代のフィルモアでのライヴで、ジンジャー・ベイカーのドラムソロの映像がある。
ー 『トード』ですね。あれは素晴らしかった。バンドとしても息が合っていた。あの映像を観ていると、あの2人(ベイカーとブルース)が揉め事を解決する方法を見出してくれさえいればな、と思うよ。音楽的にはとても楽しんでいたよ。でもベンの言うように、つまらない原因による口論が酷かった。どの喧嘩が原因だとははっきりしないし、もしかしたら僕が仲裁に入れなかったせいかもしれないけれど。たぶん、人間はいつも同じではいられない、ということだろうね。
ー 少なくともその日、あなた方の内のひとりは怒り狂っていましたよね。その通り。でも音楽は研ぎ澄まされていったから、結果的にはよかった。
ー ドキュメンタリーの中で、私の好きなシーンがあります。一瞬のシーンですが、ロンドンのクロウダディ・クラブで行われたヤードバーズのライヴ写真で、2人の観客が……。天井によじ登って。
ー まるでパンク・ロックのモッシュピットのようでした。そうだったね。
ー 今アリーナでプレイするあなたの姿しか知らない世代には、あなたがそんなワイルドな環境に揉まれてきたとは信じられないのではないでしょうか。僕らはクラブバンドだった。低い天井の会場で、楽屋もほかのバンドと一緒だったし。楽屋へ入っていくと、ほかのバンドが着替え中だったりしてね。本当に窮屈で狭い場所でプレイしていた。だけど僕にとっては居心地がよかった。アリーナでのプレイには、今でも慣れない。僕は小さな部屋でプレイしているような感じで、自分の前の空間は狭い方が好きなんだ。
ー ザ・ガーデン(マディソン・スクエア・ガーデン)ではどうでしょう?「出口」の表示を探すよ(笑) ステージ上で後ろを振り返って、暗闇に向かって「ここはマーキーだ」とか「フラミンゴクラブでプレイしているんだ」と言い聞かせている。
Photo by John Balsom/TRUNK
ー あなたは曲の中にオープンスペースも作っています。例えばブルーズ曲『リトル・クイーン・オブ・スペイズ』のソロ・パートでは、あなたはプレイヤーとして最ものびのびと弾いているように見えます。その部分はいつも僕のためのスペースだ。そこは守らないと。型にはまったパートは弾きたくない。『フォー・ユア・ラヴ』の二の舞だ(ヤードバーズの65年のポップなヒット曲。クラプトンはレコーディングには参加したが、リリース前にバンドを脱退している)。僕は、12小節の中でいつでも自由にプレイできる。このドキュメンタリーは、いいタイトルだ。僕の物ごとに対するアプローチそのものだ。
現代的なブルーズを書くのが最も難しい。それができる唯一の人間が、ロバート・クレイだ。彼の中から自然にブルーズが生まれる。つい最近も彼と会ったが、今も同じようにやっている。彼は熱心で、本物だ。僕もああなりたいと思う。僕は一人のミュージシャンだ。シンガー・ソングライターを目指して努力することが、僕にとって楽しい。でも決して自分のことをシンガー・ソングライターだと思ったことはない。ただのブルーズ・ミュージシャンなんだ。
ー 『ティアーズ・イン・ヘヴン』はブルーズだと思っていますか? 曲を取り巻く環境から、そう思えますが。いいや、そうではない。ジミー・クリフの「遥かなる河」やボブ・マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のような曲が書きたかったんだ。コード進行は同じだよ。ブルーズで自分の感じているものを表現できるかどうかはわからない。ブルーズは、あるレベルの怒りや自己への哀れみを表現しているからね。だからこの曲とは違う。