ボウイのギタリスト、ミック・ロンソンの人生を描くドキュメンタリーが公開

身震いするような記録資料が巧妙に紡ぎ合わされ、まるでボウイが生き返ったかのようなナレーションと新たなインタビューが入ったこの作品は、北イングランドはキングストン・アポン・ハルの労働者階級出身のギターの名手の人生に焦点を当てている。グラムロックがイギリス以外の国々の音楽ファンにアピールし始めた頃、ロンソンはグラムロック・シーンに深く入り込んでいる自分に気付いたのである。ボウイをミック・ジャガーとするなら、スパイダーズ・フロム・マーズでのロンソンはキース・リチャーズのような存在だった。しかし、このバンドの活動は1973年7月3日、ボウイが「このグループで演奏することは二度とない」と発表したことで衝撃的な幕引きとなる。ブルーワーは広範囲に渡ってボウイやロンソンの関係者に話を持ちかけてインタビュー素材を探した。彼が接触したのは、ボウイの元妻アンジー、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティ、アルバム『ハンキー・ドリー』のピアニストのリック・ウェイクマン、モット・ザ・フープルのフロントマンだったイアン・ハンター、デフ・レパードのジョー・エリオット等など。ジョー・エリオットはボウイとロンソンの大ファンで、1992年のフレディー・マーキュリー追悼コンサートに出演したボウイとロンソンのバックでコーラスを行ったほどだ。そして、この共演がボウイとロンソンが揃った最後のステージとなってしまった。

このドキュメンタリー映画の核心部分は、ロンソンとボウイの仕事上の関係と、アルバム『ハンキー・ドリー』と『ジギー・スターダスト』(原題:The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders From Mars)の制作に果たした彼のギターの役割だ。ブルーワーは次のように語る。「私の個人的な思いとしては、あの2枚のアルバムの全収録曲のソングライティングとアレンジを行ったミック・ロンソンがもっと認知されて、リスペクトされて欲しい。本当なら“ボウイ/ロンソン”とクレジットされるべきだったのに……ボウイもそう思っていたはずだ。以前モリッシーが言っていたけど、当時のロンソンはボウイを牽引するエンジンだったのさ。ボウイの原動力だったわけだ」

しかし、スパイダーズ・フロム・マーズが終焉を迎えたとき、マネージメントはロンソンをソロでスターにする最悪の決断を下す。ブルーワーの説明はこうだ。「彼は一度もフロントマンじゃなかった。彼は素晴らしいギタリストで、素晴らしいアレンジャーで、今も彼が生きていたら最高のプロデューサーになっていたと思う」

スパイダーズ・フロム・マーズ後のロンソンは、モット・ザ・フープルにギタリストとして少しの間だけ参加した。1975〜76年はライブツアーのローリング・サンダー・レヴューでボブ・ディランと共演した。しかしこの映画で明らかになったことが、ロンソンはディランの音楽をそれほど気に入っていなかったという本心だ。1980年代に入って、ロンソンはジョン・メレンキャンプのヒット曲「ジャック&ダイアン」のアレンジを行い、多数のアルバムをプロデュースした。しかし、金銭的には常に苦しかったのである。さらに、ボウイの影を払いのけるのは不可能だと気付く。1990年代の前半に末期の肝臓がんが見つかったとき、ロンソンは3作目のソロ・アルバム『ヘヴン・アンド・ハル』の制作に取り掛かり、この作品でデヴィッド・ボウイと久々の共演を果たした。そして、ボウイの1993年の作品『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』でも共演を続けた。ブルーワーが言う。「彼らは1990年代はずっと一緒に仕事をするつもりでいた。でも時間はすでに終わりに向かって進んでいたんだ」


Translated by Miki Nakayama

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