ショーン・ホワイト インタビュー:再び栄冠に輝いたスノーボードの申し子

ーソチから平昌までの4年間で、何があなたを変えたのでしょう?

2大会連続で優勝した人間が3度目のオリンピックで挫折、そのショックの大きさは想像がつくだろう?僕は優勝できるだけのトリックを持ち合わせていながら、それを成功させるだけのモチベーションを備えていなかった。勝利を重ねるにつれてモチベーションは薄れていくけど、それでも勝ち続けるには、どんな時でも自分を奮い立たせないといけない。でもあの頃の僕は、3度目のオリンピックで勝利するために必要な覚悟を持ち合わせていなかった。当時は自分のバンドでレコーディングしたりツアーに出たりしながら、スロープスタイルとハーフパイプの両方に挑戦しようとしてた。いろんなことに手を出して、自分のすべきことにフォーカスできていなかったんだ。

モチベーションの足りない人間が勝てるはずはなかった。あのオリンピックの後は辛かったよ。問題は体力の限界でも、トレーニング不足でもなかった。僕に必要だったのは、もう一度スノーボードへの情熱を取り戻すことだったんだ。僕は少しの間、競技から離れることにした。その間は音楽をやったり、マリブの自宅で仲間たちと集まってバーベキューしたりしてた。毎日好きなことをして、すごく楽しかったよ。でもそんな日々を過ごすうちに、またスノーボードがしたいと思うようになった。新しいスタートを切るために、僕は自分を取り巻く環境を大きく変えることにした。マネージャー、トレーナー、フィジカル・セラピストを一新して、僕はようやくプロのアスリートとしての覚悟を取り戻したんだ。

ー平昌オリンピックに至るまでのシーズンは波乱万丈でした。中でもニュージーランドでのトレーニング中に重傷を負ったことは記憶に新しいですが、当時のことについて話していただけますか?

よく晴れた日で、調子もすごく良かった。ハーフパイプの会場では爆音でクラシックなロックが流れてて、僕はイカしたトリックをいくつも決めてた。そこで僕はあのフォーティーン・フォーティーの2連発に挑戦することにしたんだ。単発のやつはよく決まってたから、2ついけるんじゃないかと思ったんだ。それで臨んだ最初のランで、僕はデッキをぶつけてしまい、真っ逆さまに落ちていって顔を強打した。辺りは血だらけで、気づけばヘリに乗せられて病院に運ばれてた。打撲による出血で肺が満たされてる状態で、飛行機に乗るのは無理だと判断されたんだ。顔は何十針も縫わないといけなかった。

ー入院と手術を経て、気持ちに大きな変化はありましたか?オリンピックの場で高難易度の技に挑むことはできないのではないか、そういう不安に駆られませんでしたか?

そんなことはなかったね。でも一時的に、恐怖心に駆られるようになっていたことは事実だよ。すごくいい気分で滑ってて、技もバッチリ決まったてたのに、気づけば病院にいたんだからさ。いろんな感情が交錯して、ベッドの上でこんな風に自問を繰り返してた。「こんな思いまでして続けるべきなのか?同じことがまた起きたとしたら?」自分の身に起きたことを、なかなか実感できずにいたんだ。過去にも落下したことは何度もあったけど、幸いにも大事に至ったことはなかった。ヘルメットは常に被るようにしているし、自分の技術には自信を持ってた。それでも、試合でもう一度あのトリックに挑戦するかどうかはすごく悩んだ。成功させる自信はある、でも同じ目に遭うかもしれないっていう不安が、常に頭をもたげるようになった。電話をくれた家族や友達は、みんな口を揃えてこう言ってた。「どうしてそこまでこだわるんだ?お前は既にメダルを手にしてるし、富も名声も得た。優雅な隠遁生活を送ることだってできるのに、どうしてまだ競技を続けるんだ?」

僕のコーチとトレーニングチームは、競技に復帰しようとする僕の背中を後押ししてくれた。彼らがいなければ、今の僕はないだろうね。オリンピックの場において、通常なら僕は向かう所敵なしの存在で、実力を発揮すれば簡単に勝てるはずだった。最初のランで優勝を決めて、2つめはヴィクトリーラップっていうのがいつものパターンだった。でも今回のオリンピックは違った。怪我のせいで万全の状態になかった僕と、ある選手のレベルは拮抗していた。それでも、僕は自分の滑りを見せることができれば、必ず優勝できると確信してた。

ーオリンピックの出場権をかけたSnowmassでのランはドラマチックでした。高得点を出す必要があったあの大会で、あなたは最後の滑走で満点の100点を叩き出しました。オリンピック出場権を得る最後のチャンスだったあの舞台で、あなたはどういう気持ちで最終滑走に臨んだのでしょう?

Snowmassでは、ジャッジが僕に期待しない技をしょっぱなから見せつけるつもりだった。練習でしっかりと自信をつけた僕は、あの場でキャブ・ダブル・コーク・フォーティーン・フォーティを成功させた。僕が大怪我を負ったあのトリックさ。事故以来一度も挑戦してなかったけど、恐怖心とプレッシャーをはねのけるためにも、絶対に成功させないといけなかった。

必ず成功すると自分に言い聞かせて、僕はスタートを切った。ファーストヒットもセカンドヒットも申し分なかった。サードヒットの540を残して、僕は自分がとてもいい状態にあるのを感じてた。直前の2つのトリックは完璧だったし、息も乱れてなかった。満点を狙ってたわけじゃなく、ただ勝ちたかった。それでも100点というスコアを目にして、オリンピックの出場権を勝ち取ったことを知った瞬間は感動したよ。NBCでオリンピックの特番を組んでもらっておきながら、その時点で僕は出場権さえ得られてなかったからね。あの瞬間、肩の荷が降りた気がしたし、オリンピックでも必ず勝利できると確信したんだ。最高の気分だったよ。

恐怖を克服したあの大会での勝利からは、他にも得たものがあった。僕はあの日、他のライダーたちのトリックがどう評価されるのかずっと気にしてた。ジャッジによる採点で競う競技だから、試合の結果は彼らの価値観次第とも言えるからね。スコッティ・ジェームスは素晴らしいランを見せたけど、僕はそれを上回ってみせた。わずかなミスも許されない緊迫した状況下でね。

Translated by Masaaki Yoshida

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