2丁目劇場時代から変わらないFUJIWARAの不思議な「凸凹感」

藤本は吉本が運営する“吉本金融”という貸金業から金を借りて生活をすることになる。一方の原西は窮地に追い込まれずにすんだ。原西は「散財するタイプでもなかったので、前に稼いでいたときのお金が残っていたので普通に生活していました」と飄々と当時を振り返る。これが同じようなタイプの2人だったら、2人とも金銭的に追い込まれ、引退をしていたかもしれない。やはり、コンビを組むなら違うタイプの相方に限るということか。どちらがピンチでもどちらは平気。そのうち、ピンチを乗り越えることができるからだ。とはいえ、漫才をする場所がなかったのはしんどかったようだ。漫才をする場所といえば、2丁目劇場だが、2丁目劇場を取り巻く千原兄弟のファンたちは自分たちのことを白い目で見ている妄想に取りつかれ、どうにも劇場に出ることに尻込みしていたFUJIWARAの2人。そんな折、彼らのことを気にかけてくれていた吉本の社員が劇場に出ることを熱心に勧めてくれた。自分たちのファンなど一人もいないアウェイな2丁目劇場で漫才をするのは、どうにも気が引けたが、いよいよそうも言ってられない状態になり、意を決して2丁目劇場の舞台へ上がった。

すると、思いのほかウケた。何度か2丁目劇場の舞台に上がったが、そのたびにウケた。原西の破壊力抜群の一発芸を擁するFUJIWARAの漫才はアウェイの2丁目劇場でも通用したのだ!と思いきや、原西が当時のことをこう語ってくれた。「一発芸、当時はまだやってなかったんですわ。どうやって笑わせたんでしょうねぇ?」と。

何はともあれ、2丁目劇場でウケたことで自信も回復し、運も巡ってきて、関西ローカルのバラエティ番組『吉本超合金』への出演が決まった。時は97年。4年ほどの低迷を乗り越え再びシーンに返り咲いた。原西がまた飄々とこう付け加える。「『吉本超合金』からですね、一発芸をやり出したのは」と。



FUJIWARAが『吉本超合金』に出演したときから既に20年が経つが、今や空前のお笑いブームだ。若い人の中にも芸人を目指す人が多いという。では、紆余曲折を経験し、スランプも不思議な運命で打破してきたFUJIWARAの2人にお笑いを志す人へのメッセージを聞いてみた。原西がこの日の取材で初めてまともな発言をする。「笑いって頭で考えていたこととはぜんぜん違うことが起きるんですよ。絶対にオモロイと思っていたことがウケへんときもあるし、絶対にウケへんと思ったときに爆笑が起きることもある。理屈じゃ説明できないから、お笑いをやってみたいならやってみたらええと思う」と。すると、藤本が「吉本以外の事務所に入ること! 給料安っすいでぇ」と笑わせてくれる。取材中、2人は同じタイプの答えをしない。こういうバランスは本人たちも気づいていない阿吽の呼吸なんだろう。さすがは結成29年の凸凹コンビだ。

いよいよ来年はFUJIWARA結成30周年ということになる。30周年のイベントなどはあるのだろうか? そう質問すると藤本が「ないです!!」と即答する。30年もコンビを組む2人の関係性は今どうなんだろうか? 「2人で飲みに行くことは絶対にないですね」と今度は原西が即答する。藤本が「2人が会話するのもネタの打ち合わせぐらいやし」というと、原西が「仕事でも2人きりだとよう話さないですね」と続く。


Photo by Tsutomu Ono

会話の最終、藤本がタバコに火をつける。藤本がふかすタバコの煙がFUJIWARAの2人を包む。煙は手に取ることはできない。でも、煙は確実にそこに存在している。29年のコンビの絆、呼吸というのは、そういうものかもしれないと、凸凹の2人を見ながらそう思った。

FUJIWARA
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1989年4月結成。若手時代にナインティナインや雨上がり決死隊などが所属していたユニット「吉本印天然素材」に参加。97年には関西ローカルのバラエティ番組『吉本超合金』にレギュラー出演し一躍ブレイク。現在はテレビのバラエティ番組を中心に活躍する。

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