DJプレミアが語る、キャリアを代表する15曲

DJプレミアが自身のキャリアを象徴する15曲を紹介(Photo by Lukas Maeder/Redux )

ギャング・スターのメンバーであり、ナズやジェイ・Z、ノトーリアス・B.I.Gのクラシックを生み出した伝説のプロデューサー、DJプレミアが、活動初期のエピソードや訴訟問題、そしてリンプ・ビズキットとのコラボレーションについてローリングストーン誌に語った。数々のヒップホップ・クラシックを生んだDJプレミアが、自身のキャリアを象徴する15曲を紹介。

ジャズ・ラップデュオのギャング・スターが、結成から数年後の1989年にファーストシングル『ワーズ・アイ・マニフェスト』をリリースした時、DJプレミアはテキサス州のPrairie View A&M Universityの学生だった。「俺はこう言ったんだ。『とりあえず音楽をやらせてくれ。もし成功できなかったら、大学に戻って卒業して定職に就くから』」彼はローリングストーン誌にそう語っている。「卒業するにはあと18単位必要だからな」彼はそう言って、その日最初となる豪快な笑い声を上げた。

プレミアは30年近くに渡り、ラッププロデューサー界のラシュモア山的存在であり続けている。ナズ(『ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド』『リプレゼント』『メモリー・レーン』)、ジェイ・Z(『デヴィルズ』『フレンド・オア・フォー』『ソー・ゲットー』)、ノトーリアス・B.I.G(『アンビリーヴァブル』『キック・イン・ザ・ドア』『テン・クラック・コマンドメンツ』)等、彼が残したクラシックは枚挙に暇がない。

彼がラッパーのグールーと組んだギャング・スターは、シンプルなループから超絶技巧のスクラッチまでを操るジャジーなサウンドで、エリック・B&ラキム以降最も重要なラップグループとなった。多弁なことで知られる現在52歳の彼は、ギャング・スターとしての活動と様々なアーティストへのトラック提供によって、心地よいジャズのサンプル、東海岸のラップの代名詞である土臭いドラム、そして自身の作品におけるヴォーカル素材のスクラッチ等、90年代のヒップホップのサウンドを定義付けた。

2003年の『ジ・オーナーズ』を最後に、ギャング・スターがその歴史に幕を下ろしてからも、M.O.P.やファット・ジョーに提供した骨太なビートから、クリスティーナ・アギレラのアルバムで聴けるオーケストラ調の壮大なプロダクションまで、プレミアは唯一無二のスキルとセンスを発揮し続けている。

デトロイトの高速ラッパー、ロイス・ダ・ファイブ・ナインと2014年に結成したプライム(PRhyme)では、よりモダンな方向性を追求してみせた。今年3月には、フィラデルフィア出身のプロデューサーであるアントマン・ワンダーの曲群をサンプリングしたビートに、ゲストに迎えたシーローやビッグ・クリット、2チェインズ、ロック・マルシアーノ等がロイスと共にラップする新作、『プライム2』をリリースした。

キャリアを代表するクラシックの誕生秘話や制作プロセスについて、プレミアが自身の言葉で語ってくれた。

ギャング・スター『ワーズ・アイ・マニフェスト』(1989年)

当時は誰もがジェイムス・ブラウンの曲をサンプリングしていて、俺もやりたいと思った。でも俺がサンプリングしたかった曲はほぼ全部、すでに使い古されてしまってた。それで俺はこう考えたんだ、他のサウンドを挿むをスペースたっぷりと残したジャズのサンプルを使ってビートを組めば面白いんじゃないかって。結局ジェームス・ブラウンのサンプルは使ったけどね、メインヴォーカルの部分さ。

当時俺はニューヨークに住んでたんだけど、大学の新学期が始まるたびに故郷のテキサスに戻ってた。でもしばらくすると、大学の講義には完全に興味を失くしてしまったんだ。幼なじみたちとまたつるむようになった俺は、やつらと一緒にしょっちゅう悪さをしてた。俺の父親は大学の学長だったから、講師たちにいつもチクられてたよ(笑)でも俺のヒーローであるマーリー・マールが、彼のラジオ番組の冒頭でこの曲をかけてくれた時、他のことなんてどうでもいいと思った。これが俺の生きがいだって悟ったんだよ。

Translated by Masaaki Yoshida

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