過去への郷愁と未来への希望、18年前のAIR JAMから見た「AIR JAM 2018」

それが頂点に達したのがトリのハイスタのライブ。18年前と同様に、スタンドの中ほどから彼らのライブを観ることにした。そのせいか、過去の自分がオーバーラップしてしまい、3人の背後にかかるAIR JAM 2018という文字が、ありえない未来を映し出しているような錯覚に陥る瞬間もあった。しかし、これは紛れもない現実。それを実感させたのが他でもないHi-STANDARDのライブだった。昨年の全国ツアーでも感じたが、人気絶頂と言われた90年代よりも今のほうがカッコいいのだ。3人のリラックスした雰囲気や観客との強いつながりは、明らかに18年前を超えていた。


Photo by AKASHI KONUMA

ラストの「Mosh Under The Rainbow」では、曲中から出演者や関係者がステージになだれ込み踊り狂った。気付けば、BRAHMANのTOSHI-LOWがスタンディングエリアの群衆の上で仁王立ちしている。そして、バンバンと打ち上がる花火がそんな光景に華を添えていた。まるで何かの最終回のようだった。


Photo by AKASHI KONUMA

「Mosh Under The Rainbow」で締めるというこのエンディング、18年前と同じようでいて実は全く異なる。細かくて興ざめするかもしれないが、野暮な解説に付き合って欲しい。

AIR JAM 2000ではライブを終えたハイスタの3人がボールを客席に投げ込み始め、難波章浩がステージ脇にいる関係者を促すまで誰もステージに足を踏み入れなかった(酔っ払ったTHE SKA FLAMESのメンバーがSHKKAZOMBIEのOSUMIを連れて万歳をするというコミカルな一幕はあったが)。あの日のステージには、なんとなくそうしづらい空気が漂っていたのだ。フェスが一般化したことによる大舞台慣れという側面もあるかもしれないが、今年はステージ上にウェルカムモードが流れていたことは確かだろう。

演出面も微妙に異なった。まず顕著だったのは打ち上げ花火。2000では演奏の最後の最後に上げられたが、今年は曲中にもかかわらずバンバン上がった。前者がやがて消えゆくイメージだとするなら、後者はまるで今後のHi-STANDARDを、日本のパンクシーンを祝福するかのように見えた。この印象の違いを生んだのは照明の効果も大きい。2000では花火が打ち上がる前に全ての照明が消されたが、今回は最初から全灯の状態で打ち上げられた。あれは得も言われぬ感動を生んだ瞬間だった。

上記のことはどれもハイスタの3人には直接関係のないことだが、今の彼らの状態が周囲に影響を及ぼしたことは明らか。2000の頃のようなピリピリした緊張感は今のハイスタにはなく、どの世代のバンドとも分け隔てなく接し、花火をただの添え物にするぐらいの存在感を見せつけた。少々大げさかもしれないが、現在のパンクシーンの一面が、「Mosh Under The Rainbow」が始まって終わるまでの短い時間に表れているような気すらした。

我々はこれまでの人生においてたくさんの物を得て、それと同時にたくさんの物を失ってきた。その結果として目にすることが出来たのがあの日のZOZOマリンスタジアムの光景なのであれば、地べたを這いつくばってここまで生き延びてきた甲斐があったってもんだ。こんなに幸せなことはない。

それにしても、「18年後にAIR JAM 2018がまた幕張で開催されるよ。ハイスタのライブ、今よりもカッコいいよ。チバユウスケのバンドが出るよ。START TODAYがめっちゃ大企業になって、ZOZOマリンスタジアムって名前になってるよ」って言われても、きっと当時の自分は信じないと思う。それぐらい現在進行形で起こっているこの現実は凄い。歴史を書き換えるペンの音が聞こえてくるようだ。この幸せを噛み締めて、もっと,もっと、前に進んでいきたい。AIR JAM 2018は多くの人にとっての生きる糧となった。

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