米政治ドキュメンタリー映画から考える課題と問題

しかしトランプが君臨する以前の2014年、ムーア自身の故郷における水道水汚染が発覚した時に、今回のドキュメンタリーのベースが固まった。大統領選前やテレビ番組『アクセス・ハリウッド』での数々の酷い発言によるトランプのスキャンダルは今や過去の問題となってしまったが、ムーア監督は、スナイダー知事がどのように“緊急事態管理”を表明し、取り巻きたちと官僚的なごまかしを始めたかを詳細に伝えている。ヒューロン湖を迂回して汚染されたフリント川を水源とし、ミシガン市へ水を供給する代替パイプラインの建設は、知事の友人を潤す以外のなにものでもない。不道徳で不必要な利益を優先した結果、決して許されざる大惨事につながった。

地方の政治のみが絡む特定の事件をムーアは個人的なものとし、2つの側面から上手く攻撃している。まず、政治の解体、代理の政治、問題が発生し蛇口から流れ出た際の否認とごまかしなどは、大規模な汚職の罪を逃れるための青写真である、とムーアは指摘する。さらに、ムーアによれば、トランプはそれらすべてを把握していたという。(ターゲットとなっているのは現職大統領だけではない。前大統領もまた非難の的にされている。オバマがフリントを訪れ“私はここの水を飲むが、そんなに大騒ぎすることではない”と発言したことを、ムーアは許していない。バラク、良くないぞ)

またムーアは、ひとつの街の問題と国レベルの危機をミクロ=マクロの関係で論じるのでなく、フリントの水汚染が国レベルの問題として語られるきっかけを作った、エイプリル・ホーキンスによる内部告発に着目した。ムーアにとって彼女は、ラシダ・トレイブやアレクサンドリア・オカシオ=コルテスら革新的な議員候補者、ウエストヴァージニア州でのデモに参加した教員たち、銃規制活動を全米に広めたパークランドの若者たち同様、果敢に闘い、将来の見通しを明るくしてくれる人たちのひとりだ。これは革命論者たちへの呼びかけだ。彼らは、犯罪容疑者として夜のニュースで流れることも厭わない。「我々は皆、フランスのレジスタンスの一員であることを認識すべきだ」とムーアは、映画のプレミアで語った。ムーアが激しく振り回す恨みごとは、米国が望むカウンターパートを作る方法を訴えているのではない。彼の取り上げる人々は、既に呼びかけに応じているのだ。『華氏119』は、そのような人たちに怒りの声を上げる場を多く提供している。

革命を起こしたいか? ロジャー・エイルズ、スティーブ・バノンという2人の闇のプリンスたちも同様。それではカッコ良すぎるので、借りてきた悪魔とでも呼ぼうか。『華氏119』は、図らずも彼らのドキュメンタリー映画の続編となった。映画『Divide and Conquer: The Story of Roger Ailes』は、テレビ番組『マイク・ダグラス・ショー』のプロデューサーが、ニクソンの“メディア・アドバイザー”から大統領選共和党候補に助言を与える立場になり、さらにジョン・スチュワートが“ブルシット・マウンテン”と呼ぶFOXニュースのCEOに就任するまでのロジャー・エイルズ入門として最適だ。知っての通り、いくつかのセックス・スキャンダルも含まれる。

監督のアレクシス・ブルームは、ニューヨーク州のコールド・スプリングまで出かけ、エイルズの栄枯盛衰を全て描いている。その小さな街でエイルズは地元新聞社を買収し、大都市流の中傷戦術をとるようになった。映画では、「オハイオ州出身の血友病患者がどのように世界を制し、また破滅させたか」という問いにも答えている。ごく普通のドキュメンタリー映画の作りで、特に派手な飾り付けもなく淡々と描かれている。しかしこの悪魔のような米国人が、大統領という暴走列車のため、どのようにレールを整備したかがよくわかる。そして、別の人間にこの急行列車を始動させたのだろう。

エロール・モリスが映画のためにスティーブ・バノンとのインタヴューを実施する、というニュースが流れた時、何か特別なことが起きる予感がした。バノンは元ブレイトバート・ニュース会長でトランプ政権の顧問も務め、最近ではザ・ニューヨーカー・フェスティバルからの招待を取り消されている。モリスのドキュメンタリー映画『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白(原題:The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara)』の映像が、頭の中を駆け巡った。アカデミー賞を受賞したロバート・マクナマラとの生々しいインタヴュー映画は記憶に新しいだろう。或いは、映画『The Unknown Known』(2013年)を思い浮かべた人もいるかもしれない。同映画ではモリスが、責任の追求をかわすのが得意なドナルド・ラムズフェルドと対面(実際にはInterrotronと1対1)でインタヴューを実施している。

モリスのドキュメンタリー映画『American Dharma』は、『The Unknown Known』がテンプレートになっているのかもしれない。同映画は、欧州の民族革命を呼びかけるような扇動家に、彼の“思想”を多くの人間に広めるための演壇を用意している訳ではない。しかしバノンには、ジョン・ウェイン、グレゴリー・ペックと映画『頭上の敵機(原題:Twelve O’Clock High)』、そのほか自己を神話化するたわごとを、とめどなく語らせている。モリスが口を挟んだり矛盾を指摘しようとすると、バノンは質問返しで対抗したり長い沈黙に入り、それからさらに別の話を続けた。最後にモリス監督は地図に火を放ち、第二次世界大戦時の地下施設を模したセットに入って綺麗に締めくくった。さすがだ。

ムーアが『華氏』シリーズの中で繰り返し声を上げているように、我々はもはや架空の敵と戦うことはないが、政治の世界に実在するドラゴンと戦わねばならないことを覚えておくべきだ。しかし『American Dharma』を観てモリスのようになりたいと思い、長時間のインタヴュー映像を高尚な芸術作品として仕上げても大失敗し、おろおろするだけだろう。現代の政治ドキュメンタリー製作の落とし穴は、“我々と彼ら”という排他的な考えを持つだけでなく、それを増長させることにある。また、どのようにして我々が今ここに至ったのかを説明すると同時に、自分が加担したことで与えた損害を当事者に認めさせることができなくなる。言い方を変えると、もしもブルームが種を蒔く様子を我々に見せ、ムーアが、育った木々からの森林火災が予想以上に早く我々に迫ってくると示唆した時、モリスは放火魔からマッチを取り上げようとするが、ただ熱風を掴むだけだろう。ドキュメンタリー映画は、我々の救世主とはならないだろう。しかし我々にインスピレーションを与え、また逆に失望をもたらす可能性もある。今までの我々の経験がその証拠である。

Translated by Smokva Tokyo

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