ニルヴァーナ『イン・ユーテロ』知られざる20の真実

 16. コバーンは当初「ハート・シェイプド・ボックス」のミュージックビデオに、作家のウィリアム・S・バロウズを出演させようとしていた

コバーンとバロウズは、1992年に「The Priest They Called Him」と題されたスポークン・ワードのレコードでコラボレートしていたが、直に顔を合わせたことはなかった。コバーンが残した日記には、バロウズが出演する「ハート・シェイプド・ボックス」のミュージックビデオの構想が詳細に記されていた。「テーブル越しにウィリアムと俺が向かい合って座る(モノクロ)。背後の窓から目が眩むほどの太陽光が差し込み、テーブルの上で両手を組んだ2人が互いをじっと見つめる」

コバーンはバロウズに年老いた神の役で出演を打診する際に、彼の素性が視聴者に伝わるようにするつもりだと伝えたという。「俺のドラッグ癖があちこちで報じられていることを考えれば、あなたは俺が両者の人生を対比しようとしていると考えるかもしれない」コバーンがバロウズに宛てた手紙にはそう記されていた。「それが事実ではないということを、まず述べておきます」コバーンがヒーローと崇めるバロウズは出演を辞退したが、2人は同年の秋にカンザスにあるコバーンの自宅で対面を果たしている。バロウズは彼のアシスタントに、「あの青年はどこか病んでいる」と語ったという。「特に理由もなく顔をしかめたりするんだ」

17. 神の役を演じた男性は内臓癌を患っており、撮影中に倒れた

ディレクターのアントン・コービンによると、その男性はセットでのウォーキング中に突然倒れたという。現場の誰一人として、彼が癌に冒されていることを把握していなかった。「体のどこかがパックリ裂けて、一面血だらけだった」コービンはそう語っている。現場には救急車が駆けつけ、撮影は中断されたという。生誕、死、そして病というビデオに登場するテーマと皮肉にも合致したその出来事によって、現場は混乱に陥った。「彼の仕事ぶりには満足していたし、楽曲のテーマと一致する部分を多く供えた人物でもあったから、クルーはみんな心を痛めて、撮影をすぐ再開する気にはなれなかった」



18. コバーンが「ペニーロイヤル・ティー」を書いたのは1990年末だったが、出来が良くないとして『ネヴァーマインド』への収録が見送られていた

ニルヴァーナは静・動・静という構成のソングライティングを得意としたが、「ペニーロイヤル・ティー」はそのフォーミュラに沿って生まれた最初の曲のひとつだった。ワシントンのオリンピアにあったコバーンの自宅で、彼とデイヴ・グロールは同曲のデモを4トラックのレコーダーに録ったという。同曲は『イン・ユーテロ』に収録されるまでに同形を変え続け、1992年には一部がジャック・エンディノによって録り直されている。「ペニーロイヤル・ティー」と「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は共に、1991年にシアトルのO.K. Hotelで行われたライブで初披露された。

ペニーロイヤルミントには流産につながる成分が含まれているが(彼の日記には「あんなの嘘っぱちだ、ヒッピーの戯言にすぎない」と綴られている)、コバーンは「ペニーロイヤル・ティー」を深刻な鬱症状と病についての曲だとしている。セラピー代わりにレナード・コーエンの曲を聴いていたというコバーンは、同曲の歌詞で彼に言及している(「あの世ではレナード・コーエンを聴きたい」)。また「下剤とチェリー風味の胃薬を生暖かい牛乳で流し込む」という歌詞は、彼がヘロインで対処しようとした慢性的な腹痛を示唆している。


19. 「ペニーロイヤル・ティー」は『イン・ユーテロ』からのサードシングルとなる予定だったが、1994年のコバーンの自殺によってキャンセルされた

コバーンの死後、レコード会社が自主回収して破棄した同シングルのB面には、「アイ・ヘイト・マイセルフ・アンド・ウォント・トゥ・ダイ」と題された曲が収録されていた。しかし幾らかは既に海外に発送されており、200枚〜400枚ほどが市場に出回ったとされている。同シングルはeBayで数百ドルで取引されているが、その大半は偽物だと言われている。2014年のレコード・ストア・デイには、「ペニーロイヤル・ティー」の正規シングル盤がリリースされた。

20. 『イン・ユーテロ』には、ロックの世界における女性蔑視を正したいというコバーンの思いが込められていた

「レイプ・ミー」は強姦という行為に対する軽蔑心と、女性を支持するコバーンの真摯な思いが込められた曲だが、同曲は発表と同時に物議を醸した。「過去数年間、バンドが発しているメッセージの真意を世間が汲み取れずにいるのを目にして、俺はできるだけストレートに伝えていくことにしたんだ」彼は本誌にそう語っている。ライオット・ガール・ムーヴメントを声高に支持し、ブリーダーズやザ・レインコーツといった女性を中心としたバンドを好んだコバーンは、『イン・ユーテロ』でより多くの女性アーティストたちが活躍する状況を生み出したいと願っていた。「このレコードがきっかけで、ギターを手にとってバンドを始める女性が現れるかもしれない」コバーンは1993年にスピン誌にそう語っている。「それだけがロックに残された未来なんだ」


Translated by Masaaki Yoshida

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