ビートルズのレコーディング・エンジニアを務めたジェフ・エメリックが逝去、その軌跡をたどる

ビートルズ解散後、エメリックはEMIからビートルズの設立したアップル・コアへ移籍。アップル・コアのサヴィル・ロウ本社内に作られたアップル・スタジオの立ち上げを監督した。その後もエンジニアとしてポール・マッカートニー&ウイングスとは定期的に仕事を続けた。また、エルヴィス・コステロのアルバム『インペリアル・ベッドルーム』(1982年)ではプロデューサーを務め、ジョージ・マーティンがプロデュースしたチープ・トリックの『オール・シュック・アップ』(1980年)ではエンジニアを務めた。さらにジェフ・ベックやケイト・ブッシュなど、さまざまなアーティストとも仕事をしている。

「今日、とても悲しい知らせを受けた。長年の友人ジェフ・エメリックが亡くなった」とウイングスのデニー・レインはフェイスブックに投稿している。「ご家族にはお悔やみを申し上げる。ジェフは才能あふれたエンジニアで、人間性も素晴らしかった。仕事を楽しみ、各地でマスタークラスを開催してファンと触れ合ってきた」

2006年、エメリックは自伝『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実(原題:There and Everywhere: My Life Recording the Music of the Beatles)』を出版。マッカートニー以外のビートルズに対する媚びない物言いや、特にジョージ・ハリスンに対する厳しい見方などは、ビートルズ・ファンの間で論議を呼んだ。しかしエメリックは、最後まで積極的にビートルズのノスタルジックな旅を続けた。2018年秋には、『ホワイト・アルバム』の50周年を記念したリイシュー盤リリースに併せ、いくつかの講演会への出演も予定されていた。

エメリックはバラエティ誌のインタビュー(2017年)で、ビートルズと仕事した人生最高の時期について語っている。「アルバム『リボルバー』での素晴らしい表現は、人生のクライマックスのひとつだった。そしてそれは『サージェント・ペパーズ』につながった。恐らく最高だったのは、『サージェント・ペパーズ』に収録された『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』の製作だろう。ジョンがジョージ・マーティンにアコースティック・バージョンを弾いて聴かせた。それを聴いた私は、“これはぜひ聴くべき”と同僚に勧めた。感動で体の震えが止まらなかった。そして楽曲にオーケストラを重ねた夜、世界がモノクロからカラーに変わった」

Translated by Smokva Tokyo

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