モンティ・パイソンのエリック・アイドル、著作で60年代の喜劇界や音楽界を回想

Kory Grow | 2018/10/10 17:33

| モンティ・パイソンのエリック・アイドル(Photo by Ole Jensen - Corbis/Corbis via Getty Images) |



―ジョーンズの家族が2016年にジョーンズの認知症を公表しました。現在の彼はどのような状態ですか?

彼は無口になったけど、人の認識はできていると思う。たぶん24時間介護を受けているはずだ。自分の世界で生きている認知症患者よりも、患者の家族や親類など周囲の人たちのほうが辛いと思う。だって、患者は不安や心配から解放されているし、何も記憶できないわけだ。そして、症状は悪化の一途を辿って、最後には周囲の人たちが一切わからなくなる。

―本の話に戻りますが、法的手段に訴えて自分たちの番組のマスター(原盤)を勝ち取ったと書いてあります。その後に、『モンティ・パイソンのスパマロット』まで「現金」は稼いでなかったと書いています。それはどうしてですか?

パイソンは大規模予算の映画でも、ブロードウェイにかかる演劇でもなかった。自分たちの始まりを考えたら、かなり頑張っていたよ。始めの頃のギャラは本当に少なかったから。そして、映画(『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』)が大当たりして大金を作った。ところが、この映画の収益はその後20年間入ってこなかったんだ。誰かが私たちのギャラを大学に持っていったらしくて、こっちの手元には一切入ってこなかった。20年経過して、やっと著作権が私たちに戻ってきて、いきなりあの映画の所有者になったのさ。これは本当に素晴らしいことだった。今でもこの映画は売れ続けているし、あのシリーズを再発することだって可能なわけだ。持ち主になったからね。その前の25年間はPBS(※Public Broadcasting Service/全米ネットの公共放送網)が持っていたから、作ったこっちには一銭も入ってこなかった。一時期MTVが持っていたこともあって、これは興味深い効果をもたらした。だってMTVの視聴者層である若者が見るようになったから。

ショーを最初から最後まで見てもらえるのは素晴らしいと思う。YouTubeの短いクリップじゃなくてね。私たちはそれぞれのスケッチがスムーズに流れるように細心の注意を払って作っていたんだよ。サタデー・ナイト・ライブはそこでやったものそのままだ。早く、早く、早くって急かされていて、リライトする時間や、スケッチをちゃんと覚える暇すらない。私たちがパイソンを作っていた頃は、リハーサルに5日間費やして、セリフを全部覚えたものだ。だから演技もうまくなったし、すべてがしっかりと噛み合っていたんだ。



―『〜ホーリー・グレイル』では微調整しているうちにテスト・スクリーニングを13回行うことになったようですが、公開されなかったのはどのようなシーンですか?

ロンドンのソーホーで100人くらいの小さなスクリーニングを複数回行ったんだけど、第一回目のスクリーニングはぐうの音も出ないほどの大失敗だった。最初から最後まで本当にひどくて。何も音が聞こえないし、サウンドトラックは最悪だった。だから音を消して、向こう見ずな冒険劇でよく使う陽気な音楽のレコードをかけた。そして、観客の笑いが止まる瞬間を耳をそば立てて聞いて、点と点をつないだんだ。追加の撮影もちょっとしたしね。たしか、黒の騎士はハンプステッド・ヒースで撮影し直したと思った。上手くつながる部分を見つけ出して、それを膨らませて、笑い続ける作品を作ったんだ。あれはいいやり方だった。でも、あのやり方をする人は他にいないと思う。

―何年か経って、一人ですべての騎士を演じる「The Last Crusade」というタイトルの映画を作るアイデアを思いついたと書いていますが、これは『〜ホーリー・グレイル』の続編だったのですか?

そうだよ。「若い騎士たちが年を取った姿をやったら面白くないかな?」って思ったわけだ。アーサー王の残り物を……つまり、グラハム(・チャップマン)ね、だから彼を出演させて……ホーリー・ランドへ行かせるつもりだった。これがパイソンの映画としてかなりの可能性を秘めているって思えたわけだ。だってもともとの十字軍自体が可笑しいから。ほら、ベネチア人が羊毛で連中の目を覆うってのに、連中はのこのこベニスまで行くわけだから(笑)。

―この映画が作られなかったのは残念ですね。

まあね。でも90年代のことだから。一番大変だったのが、みんなを集めてそういう作品を撮影するってことじゃなくて、みんなを集めてそういう脚本を書き上げることだったんだよ。大抵の場合、映画1本の脚本を書き上げるのに2年かかった。ところが、あの頃になるとメンバーは全員世界中に散らばっていて、それぞれがそれぞれの人生を生きていた。そんなメンバー全員をコーディネートすることは、考えただけでも大変だってわかったよ。
Translated by Miki Nakayama

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