『トレメイ』(訳注:アメリカHBOのニューオーリンズを舞台にしたTVドラマ番組)のシーズン1で自分自身を演じた後、ドクター・ジョンは、ニューヨークで開催されるハリケーン・カトリーナ復興慈善コンサートのリハーサルをバンドと行ったのだが、そのディープなニューオーリンズのジャムが“リンカーン・センターのセットにおいてコンフューズメンタリズム(訳注:造語で、強いて訳すと“困惑心理主義”)を引き起こすのではないか”と考えていた。おそらく、そのとおりだっただろう。しかし、現在71歳のドクター・ジョンは、ここ何十年かは、文化大使としての活動とジャイヴトークを操るナイトクラブでの活動を両立させてきた。ニューオーリンズの第3区で生まれ育った彼は、広く足を伸ばし、ニューヨークやロサンゼルスで時間を費やした後に地元に腰を落ち着けた。彼は、1968年のフリーキーなR&B作品『グリ・グリ』や1971年の『ザ・サン、ムーン&ハーブス』でもわかるように、まるでカードを切るかのようにそのスタイルも変えてきた。結局のところ、ニューオーリンズのメルティングポット魂には、純粋主義といったものはほとんど関係ないのだ。

ザ・ブラック・キーズのダン・オーバックがプロデュースしギターも弾いている『ロックド・ダウン』で、かつてのマルコム・ジョン・レベナック・ジュニアが再び取り上げたのは、初期の作品のヴードゥー・ガンボ・ジャズ・ファンクだ。筋骨たくましいヴィンテージR&Bグルーヴと白熱のソロ、サイケデリックなアレンジメント、なぞめいた訳の分からない言葉が詰まった、レベナックにとって久々のワイルドなアルバムだ。この作品でオーバックは、デンジャー・マウスと並び、レトロ・モダン・スタジオ・サイエンティストの重要人物のひとりとなった。

昨年のボナルー(ドクター・ジョンの1974年のLP『デスティヴリー・ボナルー』から名付けられたフェスティバル)で行われたジャム・セッションから生まれた『ロックド・ダウン』は、ヴィンテージ・ロックとR&Bにどっぷりと浸かっているプロたちによって作られたレコードだ。それは、オーバックと彼のクルーのみならず、1950年代、10代の頃にバンド・メンバーとして、アレンジャーとして活動を始めたレコード店オーナーの息子であったレベナックもそうだ。

レベナックは21歳の時に、拳銃で殴られそうになっているバンド仲間を守ろうとして自分の指を撃ち飛ばされるまでギターを弾いていた。その後は、キーボードを主な楽器として操るようになった。『ロックド・ダウン』でドクター・ジョンは、アルバム全体をエレクトリック・ピアノで塗りつぶしている。「レヴォリューション」でのファーフィサ・オルガンのソロは甲高い音の極めて優れた1曲で、「ゲタウェイ」のループするリフは激しいグルーヴのエンジンだ。その一方で、オーバックは同類のオールドスクーラーでガレージ・ロックのベテラン、ブライアン・オリーヴとギター演奏を分かち合っている。両者は、スタックス/ヴォルト系のシングル「レヴォリューション」で骨子となるリズムを、また「ビッグ・ショット」では非常に素晴らしい対位旋律を演奏し、自信たっぷりのサウンドのアルバム・タイトル・トラックでは(オーバックによる)ソロの火花を散らしている。

このアルバムの構成要素がレトロだとしても、そこには21世紀ならではの感受性が備わっている。「ビッグ・ショット」では薄気味悪いバッキング・ヴォーカルが浮遊し、まるでトム・ウェイツとナールズ・バークレイがジャムしているかのようだ。このアルバムでは、ダブ/レゲエのエフェクトやナイジェリアのアフロビート、エチオピアのファンクといった新しい世代(チューン・ヤーズ、TVオン・ザ・レディオほか)が模倣しているスタイルが、たくさん使用されている。

歌詞においては、ドクターは、コンフューズメンタリズムを持ち込み、さらに風化された彼の特徴的な鼻にかかったうなり声を通して現在を究明する。このアルバムの最もどろどろとしたジャムの「アイス・エイジ」では多くのスラングを操り、陰謀説や長年に亘ってほとんど変わることのない麻薬文化の詐欺をほのめかす。つまるところ、『ロックド・ダウン』は、それほどまでに素晴らしい内容なのだ。ひとりの年とったハスラーとひとりの若いプレイヤーが、偉大なる1枚のレコードを作る過程において、互いに多くのことを教え合ったと思われる、将来に目を向けたレトロな作品だ。

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