今月はカニエの『イーザス』より、般若の『コンサート』。間違いない。長渕剛の桜島ライヴへの出演、ツアーのサポート・アクトを経て、2008年の『ドクタートーキョー』では1曲のみ長渕のプロデュースが実現するなど、般若が長渕をリスペクトしているのは有名な話だ。3.11後、長渕が怒りと憎しみをメッセージで打ち出してきたように、般若も重たい余韻を湛えたアルバム『BLACK RAIN』(11年)で、沸々とその怒りを煮えたぎらせていたように思う。あれから2年が経過し、長渕が過去を背負いながら「未来」という曲で一歩前へ踏み出したように、般若は『コンサート』で“ラップ”という表現を究極形にまで進化させてしまった。

 

ゲストの田我流が怪演している収録曲「倍ヤバイ」のドラゴンボールの一節よろしく、今の般若は“いちばんツエー奴”であり、それこそ長渕くらいしか対峙できるアーティストはもはやいないだろう。これはヒップホップではあるが、日本人のための日本人によるミュージックであり、そこには残酷さや優しさや可笑しさが詰まっていて、しかもそれらを真顔でぶちまける瞬間もあれば、ただ単に悪ふざけしているような瞬間もある。

 

YOUNG-G from Stillichimiyaによる壮大な「朝、目が覚めて」では、“今、目の前/終わらせに来たぜ。それが答え”とリスナーを奮え立たせたかと思うと、DJ RYOWによる洗練されたビートとベースが唸る「無理」では、“この間コンパでヤンチャして/持って帰ってさ/何かして”と、その路線で話は進むのかと匂わせてからの、“復興復興言ってるけど、ぶっちゃけ、何も終わってねえじゃん”と痛烈な展開。Roderick Teelink改めRoderickによるロック調な「コンサート」では、“焼け焦げた野原の上にビルが建った/バッタより空に排気ガス舞った”と日本人であることを強烈に意識せざるを得ないヴァースもあれば、“生きたまま剥いだ/動物が泣いた/ソレ毛皮にしてイキがった売女”と繰り出し、デヴィ婦人や雑誌『Safari』まで登場。

 

アルバム中盤と後半をつなぐ曲はさらに強烈。昭和レコードの盟友、SHINGO★西成のほか、田我流、ZONE THE DARKNESSを迎えた「倍ヤバイ」はRIMAZIの手による中毒性の高い呪文のようなトラック。さらに圧巻なのは、ALI-KICKによる不穏なサウンドの「タケダ、ラップ辞めるってよ。」。“SWAG”“スワップ”“SMAP”“Francfranc”“スラムダンク”“グラップラー”“コージーコーナー”と韻を踏んで畳みかけ、次のセクションでは“デス妻”“Chuck”“PAC3”と続き、“コブラ”“好きな人妻”を挟んでの、最後が“Fineチラ見、宇治田みのるだ”と絶叫で終わる。

「ひとつ」「終わる日まで」「存在」といった曲では、人間の残酷性や長渕曰く「相手の白き魂」に触れるような真摯なメッセージを投げかける。「存在」の“10個の鍵をかけた玄関、開けられるのは内側からだけ”など、その視点は容赦ないが、それでもどこかに希望を感じさせる余韻があるのだ。アルバムの最後を締めくくる「友達」が、その最たる例だろう。人間にはそれぞれ物語がある。どんな視点からでもそのストーリーは描けるが、この曲のカタルシス(しかもそれは曲の最後に用意されている)は般若にしか出せない。愛とか希望とか、そんな表面的な言葉では表現しきれないくらいの、人間としての強さが大前提にある。

 

音楽的にもメッセージ性という意味でも、今日本でいちばん刺激的かつリアルなサウンドは、アイドルでもボカロでもV系でもなく、ヒップホップである。本物のメッセージというものは、誰もが簡単に形にできるものではない。それを詩や小説や脚本ではなく、遊び心のあるラップでストイックに体現できるのが、般若という男だ。ジャスティン・ティンバーレイク主演の映画『TIME/タイム』をモチーフにした「ニコイチ」では、“JUSTINより勝新ノリ”とアピールする。男という生き物の骨太さや懐の深さ、不器用さや愛くるしさをひっくるめて、昭和イズム漂う般若のカッコ良さに、熟女はビチョ濡れ必至である。

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