固く乾いたエレクトロニクスと苛立ったギターの騒音のなか、「イン・トゥー」という曲でトレント・レズナーは“成功し/自分の病と/なればいい”と叫ぶ。そのアジテーションだけで、トレントの意思が伝わってくる。

ナイン・インチ・ネイルズを結成したシンガー、コンポーザー、そしてマルチ・プレーヤーとしての彼のデビュー作『プリティ・ヘイト・マシーン』リリースから来年で25周年を数える。そんななか、レズナーにとって5年ぶりとなるNINアルバムである今作は、1999年の2枚組『ザ・フラジャイル』でのテクスチャーの探求と、94年の『ザ・ダウンワード・スパイラル』よりも張りつめた緊張感を合わせたような、最高傑作の1枚と言える作品だ。そこには血が通っている。恐怖を沸々と感じさせるが、極限状態でも思わずダンスできてしまうような、それくらいの破壊力がある。

「ケイム・バック・ホーンテッド」は、簡単に言えば、恐怖と享楽をひとつに体現した1曲だ。レズナーは独特の言い方でそれを伝える。“俺は別れを告げた/そうする必要があった/そして悪夢に取り付かれ戻ってきた”。その邪悪さは、歯医者のドリル音のようなレズナーのサステインするギターと不規則なデジタル・パーカッションにも表れている。「コピー・オブ・A」は、せっかちなクラフトワークといった感じの勢いがあり、強烈なハイハットとともにループが渦巻いていく。また、この曲では信じがたいゲストが登場。フリートウッド・マックのリンジー・バッキンガムによるギターで少しずつ盛り上がっていく。また、「オール・タイム・ロウ」ではゲストのエイドリアン・ブリューによるエッジの立ったリフをバックに、レズナーがプリンスのようなファルセットで歌う。これらの曲で展開されている情景は、いずれも忘却の淵で起こっていることだ。“皮膚を傷つけたことさえないお前/これから何が起こるか待っていろ”とレズナーは「オール・タイム・ロウ」で断言(または警告)する。しかし彼自身、それくらい追いこまれた状況で生きているのだ。

成功を手にし、ドラッグとアルコールから足を洗い、父親でもあるレズナーは、『ヘジテイション・マークス』で一度も“自殺(suicide)”という言葉を使っていない。しかし、彼は自分の過去におけるドラッグとアルコール中毒を公に認めている。このアルバムは、暗闇の世界に戻るのはいかに簡単か、選択肢がないこと(バラード「ファインド・マイ・ウェイ」)、解放への強い欲求(催眠にかかりそうな「ヴァリアス・メソッズ・オブ・エスケープ」)を歌う。“ここから出たいと/思ったことはないか?”とレズナーは、ザ・ビートルズの「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」を彷彿させるラガ調のフックを演奏する最近のレディオヘッドに少し似た1曲「ディサポインテッド」で問いかける。降伏と再生を意味するわけありのコメントだ。

アルバム中盤に収録される「エヴリシング」は、己の変身願望を歌ったパーフェクトなロック・ナンバーだ。 “しかし、俺の中に生きるこいつは/必ず蘇り目を覚ます”と曲中でレズナーは認める。それは、終盤の曲「ホワイル・アイム・スティル・ヒア」までつきまとう。したたり落ちる水のようなエレクトロニック・ミュージック。しかし、ここでのレズナーは生楽器も演奏し、サックスを吹き、まるで自分の恐怖を笑っているかのようだ。そして、この曲でも、危険な状況から一歩離れている彼がいる“俺と一緒にいてくれ/俺をいたわってくれ/俺がここにいる限り”。レズナーは、曲がノイズへとフェイドアウトする前に、はっきりと静かな強さを持って何のためらいもなくそう歌う。

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