吉村秀樹の死に触れないわけにはいかない。絶対的なリーダーにして、メンバーを振り回すワガママな独裁者としても有名だったバンドの頭脳。いや、頭脳というか、このバンドのサウンドは吉村秀樹そのものであった。混沌とした思考回路も、への字に曲がった口とやたら大きな顔がズズイと迫ってくる威圧感も、その裏の子供みたいな無邪気さも、すべてがそのまんま吉村秀樹。作曲クレジットはバンド名だが、吉村にしか作れない曲、吉村にしか鳴らせないギターと歌声が何よりも魅力的だった。その彼がもういない。バンド続行は無理であろう。

もちろん嘆くだけ嘆いて、これが日本のロックの至宝、伝説よ永遠なれ、と書くことはできる。が、そういう神格化を最も忌み嫌っていたのは吉村自身である。マスタリングは彼がこの世を去る4カ月前に完成していた。なるべく普段どおりに向き合うのが筋だと思っている。

1曲目が「レクイエム」、その歌い出しが“人は死んだらここから/消えて何処へ行くんだろう”であることにギョッとさせられるが、それ以外はいつもの変わらぬ吉村節だ。つまり、いつもながら凄まじい音圧のギターロック。パンク、ロックンロール、オルタナティヴ、エモ、広義で言えばシューゲイザーやポストロックなどの要素までを孕んでいるブッチャーズ・サウンドだが、その魅力を端的に言い切るなら「とにかくすっげぇデカい音の壁」となるだろう。我ながら馬鹿みたいな言葉だが、その馬鹿のひとつ覚えで突き進み、道なき道を切り開いてきたのがブッチャーズというバンドである。この音圧なくしてこのドラミングなし、と思える小松のプレイがわかりやすい。割れんばかりのスネアに全身全霊のシンバル。全曲ここまで激しくブッ叩かないと、吉村のギターに寄り添うドラムにはなり得ないのである。

ギターが鳴れば、それだけで音の壁がズイと現れ、猛烈なディストーションや8ビートとともに4人の轟音がゴゴゴと迫ってくる。身体を揺らすグルーヴという類のバンドではない。むしろ身動きできなくなる音圧がすべて。そんな爆音の中で、吉村は童謡的な美しさを持った優しいメロディを、やたらと大声で唄っている。擬音にすれば、息を吸い込んで「うおーー!」という感じ。唄っているというより叫んでいるのだ。叫んでいるから調子っぱずれにもなるし、繊細なニュアンスは伝わりづらくなるだろう。それを承知で、何もかもマックスで鳴らしてナンボ。要は加減を知らないハードコア。根本は今もこんなに暴力的で破壊的であるという事実は、大音量で聴けば聴くほど肉体で理解できるはずだ。

そして、そこまで轟音のハードコアなのに、驚くほどメランコリックでセンチメンタル、切なくて優しい泣きのサウンドであるという事実が、ブッチャーズの唯一無比たるゆえんであった。それは矛盾というよりも、吉村秀樹がジャイアンなのに繊細無垢な少年だから、という人間的魅力と直結させて語ることができたのだが、前作『NO ALBUM無題』から加味されていったのは、非常に前向きな愛情や生命力、行くと行ったら行くぞと突き進んでいく意志であろう。その力強さは、むろん、『youth(青春)』でさらに磨かれている。

前述の「レクイエム」は、まず初めに死を思ったのち、“僕は僕で在り続け/君は君なんだ”と互いの存在を確認し、堂々と“愛を印せ/手を広げ”と謳いあげるサビへと流れていく。恐れずに愛を語り、飛び出せ、駆け出せ、やるしかないぜと己を鼓舞する姿は、傑作との誉れ高い『kocorono』の頃の吉村が絶対に描かなかった、今現在の姿なのだろう。

まだ進化の途中だった。進化しながら、どんどん前向きに開かれていった。タイトルも誇らしい8曲目はバンドそのものを歌ったものだろう。“ハレルヤなびけよ高らかに”“狂った和音に生ずるビートよ”。

その続きがもうないことが、唯一、腹立たしい。

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