トゥ・ピンプ・ア・バタフライ

 ディアンジェロの『ブラック・メサイア』とケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』のおかげで、2015年は急進的な黒人政治と、それに合わせるかのように復活した本格的なブラック・ミュージックの年として我々の記憶に残るだろう。

 パーティはジョージ・クリントンによる神への祈り、そしてベーシストのサンダーキャットによるブーツィー・コリンズへのリスペクトから始まる。1曲目の「ウェズリーズ・セオリー」は拍子抜けするくらい無邪気な楽曲だが、ここには『ヒップホップ・アイドル』といったコンテスト番組の勝者たちにはない純粋さがある。“落ち着いて真の自分に目を向けろ”とクリントンは言う。“お前は本当に彼らが憧れているような人間なのか?”。ラマーは冗談めかして自分自身、我々、そして悪どい権力者に対して恨み言を並べていく。“俺のことを誇りあるサルだと認めてほしい”と「ザ・ブラッカー・ザ・ベリー」でラップするラマー。“俺の感覚を破壊しようとも俺からスタイルを奪うことはできない”。

 本作では、ロバート・グラスパーの神々しいピアノからテラス・マーティンとカマシ・ワシントンのホーン演奏、サンダーキャットの低音ベースまで、ジャズの即興演奏も多用されている。このアルバムは、黒人ミュージシャンが極めて重要な位置を占めた作品と言えよう。見事に調律されたオーケストラのような音は、サン・ラへの敬意ともとれる。フライング・ロータスやサウンウェイヴといったプロデューサー陣は、そういった音を複雑でありながらも調和のとれた、豊かで激しい音の流れへと変化させる。ラマーのような技術、思考、詩論や論争術を持った作詞家のみが飛び乗り、乗りこなせるサウンドだ。

 暴動を取り上げた内容の場合、本作のラマーのラップは真の意味で妥当であるといえよう。毎週のように報道されている国家警察の人種差別的なやり方を、ラマーはまるで楽しむかのように批判、粉砕していく。“コンプトンからアメリカ連邦議会まで、新しいギャングが出没……/別に今に始まったことじゃない、民主不自由党と共和残忍党”。しかし、自分がメシア(救世主)としての地位につくことに対しては、正直に不安だと告白する。チャック・Dやデッド・プレズが、「ザ・ブラッカー・ザ・ベリー」や「キング・クンタ」でのラマーのように、白人至上主義に対してハードかつウィットを持ってラップするのは想像できる。しかし彼らが、「コンプレクション」や「ユー」、「フォー・セール?」、「アイ」のように脆さや疑念、自己嫌悪などをさらけ出すとは思えない。ラマーは現在、音楽界に傑出した地位を占めている。しかもそれは、彼の前に登場した反権力的なMCたちよりもカーティス・メイフィールドやギル・スコット・ヘロンに近い。なぜなら彼が、自らの心の内を率直に表現しているからだ。

『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』はフィルターを通さない生の怒りとあけすけなロマンティシズム、絵空事ではない真の犯罪告白、マリファナに酔ったような啓蒙、厳しい自己評価、曲に取り入れる価値のある暴動などがめいっぱい詰め込まれ、猛攻撃をしかけてくる作品だ。ラマーと彼のジャジーなゲリラたちは、現代の黒人差別に深く食らいつき、それをとことん打ち壊してしまった。

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