『ロックの殿堂』入りを果たしたグリーン・デイの軌跡:22の大事な出来事

グリーン・デイに改名:新しい出発


グリーン・デイのデビューEP『1000アワーズ』は、ドラマーのジョン・キフメイヤー(別称アル・ソブランテ)が参加し、ルックアウト!レコードとのバンド初の取り組みとなった。バンドは1989年4月のEPリリースの数週間前にスウィート・チルドレンから名前を変えた。イーストベイにスウィート・ベイビーという似たような名前のバンドがいたのが理由だとされ、ルックアウトの社長ラリー・リヴァーモアによるとその行動は彼を「激怒」させたらしい。

トレ・クールとの出会い

Steve Eichner

ドラマー、トレ・クールの正確な高速連打がなければ、曲の勢いが半減し、「バスケット・ケース」や「ブレイン・シチュー」のようなハイになるメロディラインをイメージするのは難しい。だが1990年11月まではそうではなかった。本名フランク・エドウィン・ライト3世というこのドラマーがアームストロングとダーントの仲間になったのは、キフマイヤーが大学進学のため脱退した後だからだ。皮肉にもクールはルックアウト!レコードの社長ラリー・リヴァーモアが率いるバンド、ルックアウツでもドラムを担当していた(12歳でバンドに加入)。ルックアウツの1990年に発売されたEP『IV』にはクールだけでなく、リード・ギターとバック・ヴォーカルでアームストロングも参加していた。

アンダーグラウンドからメジャーへ

Tim Mosenfelder/Getty Images

グリーン・デイは90年代前半にアンダーグラウンドのファンを作り上げてきたにもかかわらず、彼らのデモテープがワーナー・ブラザーズのA&R担当の男とプロデューサーのロブ・カヴァロの手に渡って、事態が動き出したのは1993年の夏のことだった。「私は受け取ったカセットをその晩、帰宅途中の車で聴いた」と、カヴァロは2006年、マーク・スピッツ著のグリーン・デイの伝記『ノーバディー・ライクス・ユー』で振り返っている。「デモテープにはバスケット・ケースも入っていた。ロングヴューが気に入った」間もなくして即興セッションのために両者が集った。後で、クールが「リプリーズ(・レコード)のこの男がやって来て、俺たちを酔わせてレコード契約を取り付けたんだ。俺たちはすごくビッグになるんだ」と言っていたのをトレの友人が思い出した。まさか本当にそうなるとは。

ビデオ・スター


オルタナティヴ界で熱狂の真っただ中にいても、1994年の『ロングヴュー』のビデオは自慰行為や酔っ払う以外大したことをしていないという歌詞を繰り返しながら、狂った男3人(サルも数に入れるなら4人だが)が汚れた家でアニメを見たり演奏したりしてダラダラ過ごしているという内容で、その冬に公開されてからMTVでセンセーションを巻き起こすほど不愉快なものだった。荒れた肌と飛び出た眼球の接写が多いことが不愉快な行為をより際立たせた。この曲にふさわしく、ダーントは「麻薬でハイになっていた」時に『ロングヴュー』のベースラインを弾きながら契約にサインしたことを以前ローリングストーン誌に話してくれた。この曲は『ビービス&バットヘッド』の最高にクレイジーな2人にもネタにされ、アームストロングの口は「くその塊が詰まったみたいだ」とビービスにからかわれた。

史上初のTVライヴ


「彼らは始まるのが待てない」と、コナン・オブライエンは言った。グリーン・デイの史上初となるTVネットワークのパフォーマンスで、反響が押し寄せて彼らの紹介がかき消されそうになったからだ。1994年3月16日、レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエンで『ウェルカム・トゥ・パラダイス』を情熱があふれるほどにかき鳴らした時はほんの序の口にすぎなかった。それからおよそ3ヶ月後にはレイトショー・ウィズ・デイビッド・レターマンで『バスケット・ケース』を勢いよく演奏し、12月3日にはサタデー・ナイト・ライヴを訪れ、「ホウェン・アイ・カム・アラウンド」と「ギークはパンク・ロッカー」(『インソムニアック』の収録曲で、リリースの約1年前での披露)を演奏した。

Translation by Deluca Shizuka

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