デヴィッド・ボウイ、69歳で逝去:約50年間人々を魅了し続けた人生

ボウイは死の2日前、自身の誕生日に『★』(ブラックスター)をリリースした。この作品はこの絶え間なく進化し、カメレオンのように変化を遂げてきたこのアーティストのジャズとヒップホップに対する関心を映し出している。「僕たちはケンドリック・ラマーの作品をたくさん聞いた」とプロデューサーのトニー・ヴィスコンティはレコーディング中のセッションについて語る。「ああいう作品になったものはないが、ケンドリックがとてもオープンマインドで直球のヒップホップのアルバムを作らないのが僕たちの気に入った点だ。彼はすべてをそこに広げている。それこそが僕たちのやりたいと思っていたことなんだ。多くの意味において、僕たちの目指したのはロックンロールを回避することだったんだ」

彼の最後の演劇的な企ては2015年、マイケル・C・ホール主演のオフブロードウェイのミュージカル『Lazarus/ラザロ』である。これは『地球に落ちてきた男』で彼が演じたキャラクターのその後の物語を描いたもので、彼のこれまでの楽曲に合わせ、新譜が提供された。

ボウイは1970年に最初の妻、メアリー・アンジェラ・バーネットと結婚した。翌年、アンジェラは息子ダンカン・ゾウイ・ヘイウッド・ジョーンズを出産したが、1980年に離婚した。

結婚はしたが1972年にイギリスの音楽誌に対してゲイだと、1976年には『プレイボーイ』誌にバイセクシャルだとカミングアウトしている。彼は後年、この表明を後悔している。彼は1983年、「僕の最大の過ちは『メロディメイカー』ライターに自分がバイセクシャルだと言ったことだ」とローリングストーン誌に語った。「あの頃の僕はとても若かった。新しいことを試していたんだ」。彼はまた“ドラッグ”とも語っている。また後に彼はバイセクシャルだとカミングアウトしたことを悔やんでいる、という部分を強調するアメリカ的なやり方は好まないと表明し、この点を撤回している。

1992年に彼はソマリア出身のアメリカ人モデル、イマンと結婚した。2000年に娘が誕生、アレクサンドリア・ザーラ・ジョーンズと名付けられた。

「彼は常に自分の望むことを果たしてきた。そして彼は彼自身のやり方で、そして最善のやり方でやることを望んでいた」。ボウイの逝去の知らせを受け、ヴィスコンティはフェイスブックにこう投稿した。「彼の死はその人生とまったく変わらない。芸術作品だ。彼は『★』を別れの贈り物として、僕たちのために創った。この1年、こうなることは僕にはわかっていた。しかし僕は心の準備をしていなかった。彼は比類なき人間であり、愛と生命に満ちていた。彼はいつまでも僕たちと共にいる。今ほど泣くのにふさわしいときはない」。

Translaion by Yoko Nagasaka

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