リンゴ・スターのソロ活動を振り返る20曲

Photo: (Douglas Kirkland/Corbis)

最も称賛に乏しかったビートルについての過去45年分の集中講座

1970年にビートルズが解散してから、ステージのフロントにいた3人は後世への遺産の形成に何の問題もなかった。
ジョン・レノンは代表曲『イマジン』や『平和を我等に』を書き、ジョージ・ハリスンは『オール・シングス・マスト・パス』をリリースして、トラヴェリング・ウィルベリーズの1人として活動した。ポール・マッカートニーもスーパー・ボールのハーフタイム・ショーやオリンピックの開会式で主要な役割を果たした。しかし、嗚呼、残念なことにドラムのリンゴ・スターには同じ栄光は与えられなかった。70年代初頭の一連のヒット・シングルの後は音楽的な脚光からは遠ざかり、再登場したのは熟練のセッション・マンとして(代表的なところでは、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ベン・ハーパーなどの作品でドラムを叩いている)あるいは声優としてだった。

2015年のロックの殿堂入り授賞式で、スターは「アワード・フォー・ミュージカル・エクセレンス」のカテゴリーで受賞。サイドマンとしてもソロ・アーティストとしても、受けるに値する、そして長年待ち続けた栄誉が与えられた。スターはソロ・アーティストとしては、2015年3月完成予定の最新作『ポストカーズ・フロム・パラダイス』を含む18枚のアルバムをリリースしている。これから紹介する20曲で彼のキャリアに迫ってみよう。


『センチメンタル・ジャーニー』(1970年)

ショッキングなビートルズの解散の直後、スターは少しの間ロックから完全に離れ、『ナイト・アンド・デイ』や『スターダスト』、そして彼の最初のソロ・アルバムのタイトル・トラックである『センチメンタル・ジャーニー』などロック以前のスタンダートばかりを録音した。持ち前の地味な声にはぴったりと合っていなかったのは事実だが、それでもそれなりに魅力的ではあった。さらに、ビートルズの解散に続いた非難の応酬や訴訟沙汰は、誰をも昔のシンプルな時代に戻りたいという気持ちにさせたのだろう。これは暫くの間棚上げにされていたアイデアだったが、選曲については両親、特に母親からの意見を取り入れている。


ボークー・オブ・ブルース(1970年)

カントリー・ミュージックは常にスターの暗い震える声にピッタリだ。ペダル・スティールの伝説のセッション・マンであるピート・ドレイクの励ましもあって、スターは2番目のソロ・アルバム『ボークー・オブ・ブルース』をなぜかそれまで訪れたことのなかったナッシュヴィルでレコーディングした。録音は全体的にプレスリーの存在が大きな位置を占めている。ミュージック・シティ・レコーダーズのエンジニアでスタジオの共同所有者はエルヴィスの最初のギタリストであるスコッティ・ムーアだったし、『キング・オブ・ロックンロール』のバックを務めたジョルダネアーズがリンゴの後ろで気の利いたハーモニーを奏でている。

Translation by Kise Imai

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