ロッド・スチュワート フェイセズ再結成、70歳で見つけた幸福

ショーの後、スチュワートはカジノのフロアを横切り、ゴードン・ラムゼイズ・パブ・アンド・グリルで行なわれている打ち上げに足を向けた。そこで彼はシェパーズ・パイを食べ、ワインを飲み、50歳以上のサッカー・チームで一緒にプレイしているたくさんの仲間達と喋っていた。1時間ほどの後、スチュワートの足は空港に向き、家に戻って、ランカスター、2人の乳母と8人のうち7人の子供達を連れてマウイへ向かう次の旅の準備に取り掛かろうとしていた。前の妻のレイチェル・ハンターがスチュワートの許を去って、失意のまま放置された後、99年にスチュワートとランカスターは出会った。その後、そう時間をおかずに、スチュワートはまた再び父親になった。ロッドは言う。「自分の歳で子供を持つのは最後にしようと思っていたんだ。だけど、結婚すると女性はたいてい子供を欲しがるものさ。僕らは熱愛中だし。人生はいいもんだね」

唯一ハワイに行かなかった子供は、サラ・ストリーターで、63年、まだティーン・エイジャーだったロッドと当時の恋人のスザンナ・ボーフェイは、サラを養子に出した。スチュワートとストリーターは、その後1980年代まで再会することはなかったが、ほんの短い時間タッチ&ゴー的に再会を果たした。「彼女は本物のパンクで、腕にたくさんのかぎ十字が描かれ、耳には針が刺さっていた」とロッドは話す。「僕らは目を合わせなかったけど、今では彼女も成長してうまくやっているよ。おむつを替えてやったり、一緒に家にいて面倒みてやったりしなけりゃ父親って気分にならないから、しばらく厳しい状況だった。でも今では、彼女は僕をお父さんと呼ぶし、僕も彼女を娘と呼んでいるよ」

飛行機がロサンゼルスへの着陸に向けてアプローチを開始すると、ロッドは1973年のフェイセズのクラシック、「ウー・ラ・ラ」を口笛で吹きはじめた。彼の次のギグはフェイセズと共に出演する、イギリスで行われるチャリティ・リユニオン・ショーに向けて、彼はメンタルな準備を始めていた。年明けに、スチュワートの70回目の誕生日のために生き残ったメンバーが集まったが、もう20年以上も人前で揃ってプレイしたことがない。少なくともロッドと一緒には。2011年、フェイセズのメンバーはシンプリー・レッドのミック・ハックネルをリード・ヴォーカルに立ててヨーロッパをギグして廻っていた。ロン・ウッドはロッドの不在をスティフェルのせいにした。「ヤツはすべてを金で考える」と今年のはじめに言っている。「僕らは単に集まってみんなのためにプレイしたいだけなんだ」。

「ローリングストーンズの誰かさんがなんでも金がすべてだって僕に言ったってことを僕がこの耳で聞いたって?」と、その記事を読まされたスティフェルは大声で笑った。「今までの中でも最高におかしい記事だよ。連中は素晴らしい曲を一緒に書いて、偉大なことを成し遂げた。だけど、オーディエンスとしては、彼らは本当にしょっちゅう酔っ払ってるバー・バンドだよ。あれはパーティーなんだ。そこが彼らの素晴らしいところだね」。

Translation by Kise Imai

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE