ベックが語るボウイへの思い:「いつだって僕の目標だった」

Photo: (Jason Merritt/Getty)

「彼はあらゆる既成概念を覆し、ステレオタイプに立ち向かうシンボルだった」ー ベック

ローリングストーン誌本国版のデヴィッド・ボウイ追悼号では、数多くのアーティストがボウイへの思いを語ってくれている。彼をヒーローと崇めるベックもその1人だ。本誌記者の電話インタヴューに応じてくれた彼は、ボウイのコンサートを初めて目撃した日のこと、叶わないままとなってしまった彼とのコラボレーションなどについて、自身の思いを語ってくれた。

僕が初めてデヴィッド・ボウイのコンサートを観たのは、1983年のレッツ・ダンス・ツアーの時だった。当時彼はまだ30代半ばだったけど、既にロック界の生ける伝説のような存在になっていた。サンバーナディーノで開催されたフェスで、10万人くらい集まってたと思う。当時僕はまだ子供だったけど、それでも彼が別格だってことはよくわかった。まるでシナトラやエルヴィスを目の前にしているような気分だったよ。

ステージ上のボウイは圧倒的な存在感を放っていた。そこに立っているだけで、オーディエンスは彼に釘付けになっていたよ。彼がビング・クロスビーとテレビで共演した時の映像が象徴するように、彼はまだクルーナーがもてはやされていた時代に、ロックバンドのフロントマンという存在を世間に浸透させたんだ。両者の間には大きな隔たりがあったけれど、ボウイは圧倒的な存在感でそのギャップを埋めてみせた。ボウイの『ブラックスター』と、エルヴィスの曲『ブラック・スター』には不思議な共通点があるんだ。あの曲で描かれているのは、オールド・ウエストの神話から飛び出し、バイクにまたがって荒野をただ1人で駆け抜けていくエルヴィスにつきまとう死の影だと思う。そういうものをアートとして表現することは、まさに至難の技なんだ。

当時学校の女子生徒たちはみんなボウイのクリアファイルを持ってた。彼は国民的スターだったけど、みな彼が他のポップスターたちとは一線を画した存在だとわかってた。ラジオから流れてくる曲、奇抜なミュージックビデオ、彼の作り出す何もかもが人々を魅了したんだ。彼は優れた音楽がどういうものかを熟知していたけど、あえてその枠からはみ出すことで、自分の音楽をモダンで澄み切った、それでいて儚い、一過性のアートに昇華してみせた。今でも巷にはバラードが溢れているけど、疲弊と苦悩、希望と哀愁、そして怒り、そういったあらゆる感情を呼び起こす『チェンジズ』のようなバラードを書けるアーティストは他にいない。彼の音楽には極上のカクテルのような、一言では言い表せない深みがあるんだ。

Translation by Masaaki Yoshida

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