マイケル・ジャクソンの新作ドキュメンタリーからわかる10のこと

8.クインシー・ジョーンズがアルバム『オフ・ザ・ウォール』をプロデュースするのにエピックは懐疑的だった

マイケルがソロ・デビューの準備を進めていた頃、エピックはアース・ウィンド&ファイアのモーリス・ホワイトを組ませようとしていた。でなければ、実績のあるR&Bヒット・メイカーのギャンブル&ハフと再び組ませようとしていた。クインシー・ジョーンズでは、エピックの面々はその気にならなかったからだ。「皆、クインシーでは世界中の誰もが好む時代に合ったヒット・レコードを作れないと思っていた。彼はジャズに寄りすぎているからね。」と元の幹部社員は言う。しかしマイケルはクインシーのプロデュースを譲らず、結果としてマイケルの思うとおりになった。

9.『オフ・ザ・ウォール』のハイライト3曲は、英国人作曲家によるもの

ドキュメンタリーのラスト1/3はアルバム『オフ・ザ・ウォール』について、その10曲それぞれを分解して深く掘り下げている。10曲のうち3曲が英国人ロッド・テンパートン作によるもので、当時ドイツに住んでいた彼は、駐留米軍を通じてアメリカ音楽に対する鋭い見識を育てていた。彼の提供した楽曲には、ジャクソンの持ち歌の中でも最高傑作のトラック、『ロック・ウィズ・ユー』と『オフ・ザ・ウォール』の2曲が含まれている。マーク・ロンソンは、『オフ・ザ・ウォール』について長々と語っており、特にこの曲のイントロを「ちょっぴりプログレ風のフュージョンなんだ」と例えている。「ディスコ向けのレコードとしては例外的な始まりだね」と彼は続ける。「オフ・ビートで始まるんだ。不思議なヴォーカル曲だね」。

10.『あの娘が消えた』はそもそもフランク・シナトラ向けに用意されていた

トム・バーラーは『オフ・ザ・ウォール』の中の孤独な悲しいバラード、『あの娘が消えた』を書いた。電話でクインシー・ジョーンズにこの曲を聴かせた時、ジョーンズは8回もバーラーにリプレイさせた。だがその時その曲は、シナトラの手に渡ることが決まっていた。「いずれにしろシナトラは歌うよ」とジョーンズはバーラーに話している。「だが私を信頼してくれれば、この曲を忘れられないものにすると約束する」。これには数年かかったが、ジョーンズはその約束を守った。マイケルはスタジオでこの曲を歌うたびに、わっと泣き出した。録音でも泣いているのが聞こえる。L.A.リードは「この曲を上回る曲は『スリラー』にはないよ」と言う。数多くのシンガーがこの曲をカヴァーしたが、シナトラは結局録音しないままこの世を去った。


2016年3月9日発売
オフ・ザ・ウォール デラックス・エディション(CD+DVD)
アルバム¥4,200+税


Translation by Kise Imai

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