キース・リチャーズのワイルド伝説19選(前編)

Photo: Graham Wiltshire/Getty


死の淵の恐怖(1965)
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Photo: Val Wilmer/Getty

リチャーズは幾度となく生死をさまよった経験があるが、本人が"一番の見もの"と呼ぶ際どい瞬間がある。1965年12月3日、カリフォルニア州サクラメントのメモリアル・オーディトリアムで5000人のファンを前に『ラスト・タイム』を演奏中、キースのギターがマイクスタンドに当たった。すると閃光が上がり、リチャーズは地面に崩れ落ちて気を失った。イベントプロモーターのジェフ・ヒューソンは、リチャーズが撃たれたと思ったそうだ。ライヴに来ていたミック・マーティンは、「俺はキースが、文字通り後ろに吹っ飛んだのを見た。死んだと思った。恐ろしかった。その場にいた観客は皆同じ気持ちだった」ギターがマイクに触れて起きた感電だった。キースは酸素チューブにつながれて病院に担ぎ込まれた。病院で医師が、「意識が戻る場合も戻らない場合もある」と言っているのを聞いた、とキースは笑いながら振り返った。感電死を免れたのは、ハッシュパピーのスエードの靴底が厚かったからかもしれない。リチャーズは、翌日の夜のライヴには復帰していた。

ストーンズのライヴはメルク製!(1975)
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Photo: Christopher Simon Sykes/Getty

1975年の伝説となったツアー・オブ・アメリカで、ストーンズは絶好調だった。リチャーズは、好調の理由を「メルク製コカインがガソリンになった」と、製薬会社が調合した高純度の薬物について自伝に書いている。「俺たちはステージ上のスピーカーの陰に場所を作り、曲の合間にコカインが吸えるようにした。ロニーと俺の間で1曲ごとに1列吸うというルールを決めた」他にもリチャーズは、複数のアンプの間に小分けにしたヘロインやヘロインを混ぜた煙草、俗にいう❝ダーティ・ファグ❞を用意した。リチャーズとコカインの売人がアーカンソー州に入り、うまいバーベキュー料理を食べに寄った先で逮捕されるまで、全ては順調だった。しかし、リチャーズは運よく162ドルの保釈金を払い、ツアーに戻ることができた。

誰も殺さなかった日(1976)


Gijsbert Hanekroot/Getty Images

リチャーズは自伝『ライフ』に1976年の事故を回想し、「俺は運転が上手い」と書いた。リチャーズは、7歳の息子マーロンを後部座席に乗せて居眠り運転をし、衝突事故を起こして逮捕された。「つまり、完璧な人間なんていない」とリチャーズ。イギリスのネブワースで演奏した帰りだった。ベントレーは木に激突した。マーロンは『ライフ』に、「5、6年前まで血の付いた僕の手形がバックシートに残っていた」と語った。「ダッシュボードにはいまだに俺の鼻がぶつかってできたへこみがある」とリチャーズ。ジャケットのポケットの薬物が見つかりリチャーズは逮捕されたが、後にこう記している。「少なくとも人はひかなかった」

キース・リチャーズのワイルド伝説19選(後編)はこちら

Translation by Rolling Stone Japan

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