ボウイの盟友ギタリストが思い出を語る「あんなに好奇心の強い人はいなかった」

私が最後にデヴィッドとしゃべったのは、トニー・ヴィスコンティの去年の誕生日だった。とても楽しかったよ。

デヴィッドと仕事をして、特にベルリン3部作に参加したことで、電子音楽とのつきあい方を学んだからこそ、今の私があると思っている。彼の「自分はアーティストなんだから、レコード会社のためではなく、ファンのために音楽を作れるんだ」という言葉は、とても重要なものだ。

我々は、アルバムの片面がロックンロールでも、B面がランドスケープだか、サウンドスケープだかであっても構わないと言うことに気がついた。デヴィッド・ボウイが感じた音楽に対する感情的な愛着がそこにあったんだ。彼は感情に導かれるところがあった。いつも明かりを消して、暗闇で音楽を聴きたがった。そうすることで感情の旅に出ることができるんだ。最初は私も逆らった。というのも、ブライアン・イーノが機材を独自の方法で操作する方法が気に入らなかったからなんだが、やがて私は、機材の問題ではないんだと言うことに気がついた。肝心なのは、音楽への感情的な愛着なんだ。歌詞がない音楽は、素晴らしい心の旅にいざなってくれた。まるでSF映画のサントラみたいだった。

当時、あんなことをした人は誰もいなかった。考えもしなかったからだ。レコード会社のヤツらは、「これをどうしろと?」なんて言っていた。答えは、デヴィッドがそうしたように「新しいジャンルの到来を喜べ」ということだった。我々には、ニューエイジ、ニューウェーブ、エレクトロニック・ミュージック、ロックンロール、ブルーアイド・ソウル、プラスティック・ソウル、グラム・ロック、パンクなどの時代があった。これら全てのジャンルの音楽が、たった1人の男の傘のもとで1つになっていたんだ。そんなこと、他に誰ができるかね。

新しいアーティストには、自分を見つめてこう考えてくれると心強い。「これからどう変化していこうか」。現状維持のままなら、5年でダメになってしまうぞ。

Translation by Kuniaki Takahashi

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