「5人目のビートル」を超えたジョージ・マーティンという存在

ある朝、マッカートニーがベッドから抜け出したとき、頭の中に「イエスタデイ」のメロディが浮かんだ。彼は何週間もそれを人々にハミングして聞かせた。しかし彼は果たして自分がこの曲を思いついたのだろうかと懐疑的だった。当時のビートルズは、まだ自分たちをスーツは着ているものの、北部出身の稚拙なロッカーたちだと思っていた。その弦楽四重奏が非の打ちどころのないものだと考えたのはいつも極めて慎重なマーティンだった。




Photo by Rob Verhorst/Redferns

マーティンにとってビートルズは退屈で子供っぽい存在だったかもしれない。彼は決して当時のビートルズのような"自由な愛"と"さあ、この一掴みのピルを飲もうよ"というタイプではなかった。しかし「過去に何をしてきたのか、何がルールなのか、何が他の人にとってのルールなのか、ルールだったのかなんてどうでもいい」と表現できるような、ビートルズのスピリットにマーティンは満足していた。ビートルズは常にある種の感情的な前衛主義を備えていた。「ザ・グーン・ショー」でマーティンが仕事をしていたことを考えるとマーティンも同じだった。「ザ・グーン・ショー」のおかげでマーティンはすぐにレノンのそばに近づくことができたのだ。

マーティンはスツールに座りレノンが初めて「ストロベリー・フィールズ」を演奏するのを聞いたとき恐れおののいた。さらに一時ではあるが、レノンがこの楽曲の、よりスローで感情的に揺さぶるような夢見るようなバージョンを生かしたいのか、激しく大きな音で反復するバージョンを使いたいのか見極めることができなかった。なぜならレノンが彼に、それぞれのバージョンを一緒にしてくれと言ったからだ。レノンはその2つのバージョンの調が違うことをわかっていなかった。もしくは気にしていなかった。バージョンのつなぎ目は察知できないようなものではなく、しっかり聞き取れるほど不快なものだった。しかしこれはレノンの問題ではなかった。レノンは自分の役目を果たした。そして次に仕事をするべきなのは、もちろんマーティンだった。

Translation by Yoko Nagasaka

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