映画『キャロル』制作の裏にある真実の愛の物語とは



「私はこの作品がとても個人的なものであり、だから読まない方がいいと思っていました」とナジーは語る。彼女はこの作品を読んで驚愕した。「キャロルとテレーズの周囲の人々が、彼女たちがお互いにどう思っているのかについて問題を抱いているけれど、彼女たち自身に問題はなかったという状況はとてもユニークでした」「それはまるで息をするかのように自然なものでした。脚本を書いているとき、これはさらに繊細で興味深い何かを作るチャンスだということに最も興奮しました。誰も死なず、自殺も図らず、ゲイであることが苦しみをもたらす瞬間すらない。それでもこの作品はカルチャーとして急進的だと思いました」

ハイスミスの幻想は個人的なものであるのと同時に政治的であった。『The Price of Salt』が書かれた時代、ゲイだと疑われている人が罰せられる作品である限り出版に際して検閲は緩かったが、ゲイの人々に関する作品を出版、流通させることは違法だった。

ニューヨーク州酒類管理局は同性愛者に酒類を提供することは"風紀を乱す"と考えていた。ゲイバーは客から金を巻き上げ、経営していたのはそれを見逃してもらおうと警官に賄賂を握らせるマフィアたちだった。作家のマリジェイン・メエーカーはハイスミスとの関係を書いた回顧録の中で、2人の若い女性が土曜日の夜、きちんとしたレストランでテーブルに案内してもらうことが、特に2人がスカートをはいていない場合、どれほど大変だったかを説明している。ハイスミスがブルーミングデーツで上品な女性を初めて見かけてから2年後、上院議員ジョセフ・マッカーシーは彼が主導する「赤の恐怖」の成果に気勢を得て、同性愛者と疑われた91名を国務省から解雇した。同じ年に『The Price of Salt』が出版され、アメリカ精神医学会による「精神障害の診断と統計マニュアル」初版は、同性愛を反社会的人格障害に分類した。

この意味で、キャロルとテレーズを脅かす最大の疑惑は2人が恋に落ちたときに起きるであろうことだ。この映画が極めてはっきりと冬を想起させるのは適切だろう。冬は死と閉塞の季節であると同時に、至るところに魔法が存在し、雪の結晶やトディ、暖炉の火を思い起こさせ、暗黒を断絶するかのような人々の反抗的な態度を連想させるシーズンだからである。オハイオの荒涼とした草原を車で走っているキャロルとテレーズはまるで地球上に生き残った最後の人類のように見え始める。その幻想は2人の人生を少しだけ楽にする(「街全体を独り占めできるのはいい気分よ」と旅の初めに彼女は言う)。キャロルの夫に雇われた私立探偵が2人を追い始める。そのとき探偵の存在は寓話的で、キャロルとテレーズのような人の存在を彼女たちがどこに行こうとも暴き出す社会というものを象徴するものに感じられる。



映画の世界であっても女性が一人で支配権をに入るのは難しい。『キャロル』の13人のプロデューサーのうち半数以上が女性である。最近行われた2つの調査によると、女性のプロデューサーの割合は約5人に1人である。そして映画の中で、セリフを与えられている女性の数は3人に1人以下である。これらの女性の中でゲイの割合は0.1%に満たない。2014年の興行収益が上位700位の映画のうち女性脚本家が書いたのは11作品である。興行収益上位100位の作品の中で、45歳以上の女優が主演の作品は1本もない。ブランシェットは5月に46歳の誕生日を迎えた。映画『キャロル』は1952年に『The Price of Salt』がそうであったのと同じように、2015年に制作されたものとしては思いもよらない作品である。セリフは当時のようには緊張したものではなく、同じ激しさをもたらすものではないが。

Translation by Yoko Nagasaka

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE