有名バンドの知られざる「ひどい」オリジナルネームランキング 

Photo by GAB Archive/Redferns; JA Barratt/Photoshot/Getty Images

レッド・ホット・チリ・ペッパーズからアース・ウィンド・アンド・ファイアー 、ビースティ・ボーイズ、グリーン・デイ、ピンク・フロイドまで、ひどいオリジナル・ネームを一挙公開



バンドの命名はどのグループも直面する重大な決断の一つだ。にもかかわらず、多くのバンドがここでひどい失敗を犯す。バカげた命名に固執するグループにとって幸いなことに、バカげた名をつけ、その名前でライブ公演、デモ版、更にはアルバムまで出し、そこでやっと目が覚めるグループもいる。クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルやグリーン・デイといった有名バンドの多くが、後者のグループに属する。彼らは、何百万もの熱狂的なファンのTシャツを飾る運命にある名前にたどり着く前に、見当違いのバンド名で活動をスタートし、困難を乗り越えて成長したのだ。彼らが言う通り、名前はバンドをつくる。名前と共に迷走に終わるのをなんとか免れたグループをここで紹介する。





25位 トム&ジェリー / Tom and Jerry



Photo by James Kriegsmann/Michael Ochs Archives/Getty Images

最終的な名前:サイモン&ガーファンクル / Simon and Garfunkel

ポール・サイモンとアート・ガーファンクルが、ブリル・ビルディング界隈で自分たちの音楽の売り込みを始めた56年、彼らはまだ15歳の少年だった。売り出しやすい名前を持っていなかった2人は、ポールはジョン・ランディスと名乗り(憧れだった少女、スー・ランディスに由来)、アートはグラフ用紙にヒットレコードの推移を書き込むことが好きだったことから、トム・グラフと名乗った(まじめな話)。彼らはトム&ジェリーという名で(ハンナ・バーベラに訴えられる心配はしていなかったようだ)、『ヘイ・スクールガール』を発表、マイナー・ヒットとなる。テレビ番組『アメリカン・バンドスタンド』では、ジェリー・リー・ルイスの『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』の直後にこの曲を演奏したという(残念ながらビデオは残っていない)。だがその後はヒットに恵まれず、2人は大学の学業に専念した。卒業後、64年にフォーク・シンガーとして再びコンビを組んだ頃には、彼らは本名を使う決心をした。その時代のアメリカには、まだユダヤ系のエンターテイナーを受け入れない局面もあったが、あえてそのリスクを冒したのだ。「これが僕たちの本当の名前なんだ」とサイモンは言った。「ボブ・ディランの名前がボビー・ツィンマーマンだとわかった時,みんな大きなショックを受けたと思う。彼は真実の姿であるべきだったよ。それはとても重要なことなんだ」





24位 ザ・スクエア・ルーツ / The Square Roots



Photo by Jeff Hahne/Getty Images

最終的な名前:ザ・ルーツ / The Roots

ザ・ルーツは、クエストラブ(アーミア・カリブ・トンプソン)とブラック・ソート(タリク・トロッター)がフィラデルフィアの高校で出会ったところから始まる。89年に開催された学校のタレントショーでは、ラジオ・アクティビティと名乗り、次にブラック・トゥ・ザ・フューチャー、そして最もオタクっぽい、ザ・スクエア・ルーツとなる。ブラック・ソートは『アンチサークル』という曲で、"よお、俺はアンチサークル、、、決して同じスタイルではやらないのさ、、、俺はスクエア(真面目)でクール、、、"と歌う。"同じスタイルではやらない"との宣言通り、同じ名前のフォーク・グループがフィラデルフィアに存在すると知った彼らは、数学的なイメージのスクエア・ルーツから、ザ・ルーツに改名した。





23位 ムーキー・ブレイロック / Mookie Blaylock



Paul Bergen/Redferns

最終的な名前:パール・ジャム / Pearl Jam

90年10月、ムーキー・ブレイロックというシアトル出身の新しいバンドが、オフランプで初のコンサートを行った。バンド名は、NBAチームのニュージャージー・ネッツに所属していた選手から取った。彼のバスケットボール・カードがデモテープのケースに迷い込んでいたからだという。「ちょっと間抜けな感じだよね」と、エディ・ヴェダーは自ら認めた。 「だけどその最初の週、俺たちは歌にずっと集中していて、名前を考える時間がなかったんだ」無名のローカル・バンドにとっては、この名前でも構わなかったのだろうが、次第に注目を集め、アルバムのレコーディングを始めた頃には、NBAで人気のポイントガードと同じ名前で活動を続けることが難しくなった。この名前はさまざまな問題を引き起こし、彼らは商標登録することも、商品として売ることもできなかった。その後のバンド名であるパール・ジャムの由来については、幻覚を引き起こすジャムを作った祖母パールから取ったとヴェダーが述べ、それが原因で長年にわたり神話化されてきた。だが実際はもっとありふれた話だ。"パール"は、ベーシストのジェフ・アメンがランダムに考え出したもので、残りの部分は、ナッソー・コロシアムで行われたスメル・ザ・ホース・ツアーで、ニール・ヤングとクレイジー・ホースの見事な演奏を見たメンバーが思いついたという。「どの曲も、15分から20分のジャムだった」と、アメンは当時を振り返った。「それで名前に"ジャム"とつけたんだ。 少なくとも、僕はそう記憶しているよ」


Translation by Aki Urushihara

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE