唯一無二の"プリンス"として生き抜いた57年間とは

プリンス(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

1984年発表の『パープル・レイン』は1300万枚を売り上げ、プリンスのキャリア史上最大のヒット作となった。また同年に公開された同タイトルの映画で、プリンスは不遇な家庭環境に育ちながらも、ミネアポリスの音楽シーンで成功しようともがく若者、ザ・キッドを演じている。同作にはザ・タイムズも出演した。


 (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

映画内でプリンスが演奏するアルバム収録曲は次々とヒットを記録した。ロックとR&Bを融合させた「ビートに抱かれて」、ポップ・ロックの金字塔「レッツ・ゴー・クレイジー」は第1位を獲得し、プリンス史上最も有名なギターソロのひとつをフィーチャーした壮大な「パープル・レイン」は第2位を記録した。眩いニューウェイヴ調の「ダイ・フォー・ユー」は第8位、そしてミッドテンポのキャッチーな「テイク・ミー・ウィズ・ユー」は第25位を記録した。



同作から彼のバックバンドとしてクレジットされるようになったザ・レボリューションと共に、プリンスは大規模なリリースツアーを行った。同ツアーで前座を務めたシーラ・Eは、プリンスがプロデュースを手掛けたデビュー作『ザ・グラマラス・ライフ』を1984年に発表している。

アルバム収録曲「ダーリン・ニッキー」で、主人公はセックス依存症の女性がマスターベーションをしている様子を目撃する。同曲はアポロニアがザ・タイムズと組んだことを知り、ザ・キッドが複雑な思いを抱えるという劇中のシーンで使用されている。また当時州知事を務めていたアル・ゴアの11歳の娘が同曲を耳にし、ポルノグラフィックな表現について注意を喚起することを目的としたペアレンツ・ミュージック・リソース・センターの設立を、母親のティッパー・ゴアに提案したことも大きな話題となった。それがプリンスの人気に影響を及ぼすことはなかったものの、それ以降過激な表現を含む作品は「Parental Advisory Warning」のロゴ掲載を義務付けられるようになった。

翌年、プリンスは「ウィー・アー・ザ・ワールド」への参加を拒否したが、その代わりに「4・ザ・ティアーズ・イン・アフリカ」を、アルバム『USAフォー・アフリカ』に提供している。またその頃プリンスはシーナ・イーストンのプロデュースを手がけるようになり、彼女の「シュガー・ウォールズ」はPMRCのターゲットとされるにもかかわらずヒットを記録する。

1985年、プリンスは「ラズベリー・ベレー」「ポップ・ライフ」を収録したネオ・サイケデリック調の『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』、その翌年にはシングル「KISS」を収録した『パレード』を発表する。後者はプリンスにとって2作目の主演映画となった『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のサウンドトラックとしてリリースされた。ザ・タイムズのジェローム・ベントンも出演した同映画は批評家たちから酷評され、興行面でも失敗に終わった。



『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のリリースに伴うツアーが行われることはなかったが、その頃プリンスはペイズリー・パーク・スタジオを設立し、ワーナー・ブラザースの傘下に同名のレーベルを発足させている。同レーベルはザ・ファミリー、マザラティ、マッドハウス、ジル・ジョーンズといったアーティストを輩出するも、どれもヒットを出すには至らなかった。しかしプリンスがザ・ファミリーに提供した『愛の哀しみ』は、1990年にシネイド・オコナーによってカヴァーされ、大ヒットを記録する。


1988年、ミネソタ州チャナッセンに設立したペイズリー・パーク・スタジオJim Steinfeldt/Getty Images)


『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』の失敗を受け、ザ・レボリューションを解散させたプリンスは、シーラ・Eを擁するバンドと共に『サイン・オブ・ザ・タイムズ』を完成させる。ビルボード200の第6位にランクインした2枚組の同作はプラチナ・ディスクに認定され、プリンスを再びメインストリームの最前線に押し戻した。軽妙でありつつどこか哀愁漂う表題曲、パーカッションの効いたファンキーな「ユー・ガット・ザ・ルック」(シーナ・イーストン参加)、慕情を歌った「プレイス・オブ・ユア・マン」、快活な「イフ・アイ・ウォズ・ユア・ガールフレンド」等をはじめ、同作にはジャンルの壁を超えた様々なスタイルの楽曲が収録されている。プリンスの腹違いの妹であるローナ・ネルソンは、「ユー・ガット・ザ・ルック」の歌詞は自分の手によるものだと主張して彼を訴えたが、1989年にプリンス側の勝訴が決定した。同作のリリースに伴って行われたワールドツアーは後に映画化されている。


Translation by Masaaki Yoshida

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