ウィーザー、リヴァース・クオモの人生哲学

「これは誰にも理解できない話だよ」と、バンドのルーツについて新たな観点で見直しながら彼は説明する。「ウィーザーはギター技術や曲の構造、歌詞の登場人物の質を意図的に下げていた。そうしたことで、すごく素朴でさりげない感じが出て、俺たちがまるで12ヶ月前に楽器を始めたばかりであるかのような印象が生まれた。整髪用のジェルやアクア・ネット、ヘアスプレーを使うのも止めた。マッシュルームカット頭に眼鏡をかけ、Tシャツと青いウインドブレーカーを着た4、5歳の頃の自分の写真を見たんだ。「これが本来の自分の姿なんだ!」って感じたよ」。

だから、レズビアンであると判明した女の子や別の意味で手に届かない女の子とのぎこちなく、もどかしい出会いを経験して、余計に状況が悪化するような、思春期後の自己不安を抱える時をテーマにした歌詞の内容のせいで、ウィーザーが若い頃のクオモの姿をありのままに映し出だけの存在なのではないかと皆が疑ってきたように、オタクとしての幸せな様子や気取り屋のような振る舞いを一切感じさないのだ。そのため、他の人たちは当然のようにしていたのに、クオモだけ神の特別な恩恵を受け、セックスで仙骨神経を少しも痙攣させることのできない、ロックスター史上で唯一のロックスターであるという印象が彼にはあるのだ。

「うん、まあ80年代って、俺に限らず、たいていの人がロックスターになって女の子に囲まれるのを夢見ていたよね」と彼は述べる。「でも思い通りにはいかなかった」。

フライド・クラムのレストランの正面にあるベンチに鳥のように腰を落ち着かせ、クオモはこう話を続ける。「理由のひとつは、1994年までの俺たちのファン基盤は10歳以下の女の子だったことだ。彼女たちはまず他のバンドメンバーの下に駆け寄った。それから、ウィーザーは「女性ファンを搾取しない」と言えるような存在だという新しい革命みたいなものがあって、たぶん女性ファンもそういうことを嫌っていた。俺は10代の頃に毎晩ベッドで夢見ていたことと現実の違いにかなり失望したよ。失望しすぎたから、すべてを『ピンカートン』で共有しようと決意したんだ。これが自分なんだ。俺はだらしなく下劣で、女の子を求めるような男なんだってね」。

それはどんな結果をもたらしたのだろうか?

彼は顔をしかめる。「あのアルバムがどんな受け止め方をされたのかは知っての通りだよ。それほど上手くいかなかった。要するに、アルバムの結果は良かったけど、俺が街に出ても言い寄って来る人はいないってこと。一度もなかった。認知されていようがいまいが、違いはない。俺たちの女性ファンは一緒にセルフィーを撮りたがるだけで、たいてい立ち去ってしまうよ」。

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「ウィーザーはギター技術や曲の構造、歌詞の登場人物の質を意図的に下げていた」。(Photo by Mark Horton/WireImage/Getty)

この日陰で見ると、クオモがかなり童顔であることに驚かされる。近くで大騒ぎして彼の思考を遮るスケートボーダーのひとりだと言っても通用するほどだ。あまりにもうるさいので彼は立ち上がり別の場所を求め、水族館に程近い桟橋の長い階段を上る。女の子と言えば、かつてのマッサージ・パーラー通いの趣味と自慰の探求はどうなのだろうか?そういう場所に行くのは、ものすごく気まずいことなのでは?

Translation by Shizuka De Luca

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