プリンスのワイルド伝説12選

Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images


ジェームス・ブラウン&マイケル・ジャクソンと即興共演(1983年8月20日)



80年代のプリンス最大のライバルといえば、マイケル・ジャクソンだ。またジェームス・ブラウンは、プリンスが自分の真似だと言い、ネガティブなコメントをしたことがあった。そんな3人が、83年に驚きの共演を果たしている。それはハリウッドのビバリー・シアターのステージに立つジェームスが、ジャムセッションをするために、マイケルとプリンスを順にステージに上げたことで実現した。「プリンス、何かやらなきゃ!」ファンクの帝王がこう命令すると、その頃既に人気を博していたプリンスは、ギターを受け取り、ジェームスに従ってみせた。そしてご満悦に笑うジェームスが見ている中、プリンスはジミ・ヘンドリックスとキャットフィッシュ・コリンズが融合したかのような、ファンキーでクレイジーなリズムのギターパフォーマンスを披露した。途中で上半身裸になり、アクロバティックな足さばきとクールでセクシーな動きを見せつけるその姿は、ファンクの帝王ジェームス・ブラウンよりもファンキーだった。ジェームスからプリンスへの世代交代が実際に行われていたならば、それは意図的であろうとなかろうと、この瞬間だったように思える。


米PMRCの『Filthy 15(不快な 15曲)』リストで1位獲得(1985年)


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ティッパー・ゴアが音楽検閲組織である ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター(PMRC)を創立したのは85年のことだが、これは彼女が性的な描写のあるプリンスの『ダーリン・ニッキー』を聴いている11歳の娘を目撃したことがきっかけだと言われている。後のセカンドレディであるティッパーは、レコード業界にPMRCが選定した「Filthy 15(不快な15曲)」を主に使い、楽曲を検閲することを求めた。しかしこの計画は、裏目に出てしまった。というのも、80年代の自尊心を持つ子供たちが、逆にリストの曲全てを聴かないわけがなかったのだ。プリンスはというと、『ダーリン・ニッキー』がリストの1位を飾り、作曲したシーナ・イーストンの『シュガー・ウォールズ』が、その女性器の詩的な隠喩が問題となり2位にランクインするというように、見事に2曲でランキング入りを果たした。(またプリンスの元恋人ヴァニティの『ストラップ・オン・ロビー・ベイビー』は、4位に食い込んでいる。)ヘヴィメタル・バンドがリストの大半を占める中で、プリンスはジューダス・プリースト、マーシフル・フェイト、ヴェノムらを差し置いての上位ランクインとなったのだ。しかし宗教心を持つプリンスはというと、後に英NME誌に肉体的な快楽について次のように否定している。「俺は行き過ぎた行動、ドラッグ、セックス、アルコールへの道を知ってる。その全部の経験はファンキーなものかもしれない。かなりファンキーなこともある。でもね、それはただの通り道や脇道であって、答えじゃないんだ」

Translation by Miori Aien

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