裸体・ドラッグ・カルト指導者あり、デニス・ホッパー監督・主演の衝撃作品を振り返る

映画序盤の上記のインサートシーンで、ホッパーは電話口で「女の子は来るのか?」と笑いながら目を輝かせてスタッフに聞いている。「『The American Dreamer』ってドキュメンタリーを撮っている。だから俺は、"女の子が居なくて『アメリカン・ドリーマー』になんかなれるか"って言ったんだ」ここでカットが変わり、ホッパーはマリファナを紙に巻き、女の子たちの服を脱がせ、その中の3人がバスタブに入る。

「僕らはホッパーの弟(デビッド)を空港に送り、彼の眼鏡にかなう独身の女の子が降りてきたら"デニス・ホッパーと映画に出てみないか?"って聞いてもらうことにした。彼女たちならノーなんて言わなさそうだろ?そうやってこの3人に来てもらった」とシラーは語る。

シラーは、バスタブのシーンのことで今でもホッパーに腹を立てていると言う。「あのシーンで、デニスはチャールズ・マンソン(家出少女たちを集めたカルト指導者。自らは手を下さずに少女たちに殺人を実行させた)を演じている。女の子たちの全裸は撮影させたが、自分のヌードは撮らせなかった。不公平だろって言ったんだけど、デニスは僕を無視した」(余談だが、シラーは、マンソン・ファミリーだった女性たちの弁護士の仲介で、撮影中のホッパーとチャールズ・マンソンの面会が実現していたことを知っていた。撮影に戻ったホッパーはそのまま役を演じ続け、面会については語らなかった)

ドキュメンタリーのある段階で、ホッパーは『ラストムービー』が受け入れられることを信じていると語るが、結果的にオーソン・ウェルズの失敗作、1942年の『偉大なるアンバーソン家の人々』と比較されればうれしいとぶっきらぼうに言った。この映画は、ウェルズが『市民ケーン』の次に監督した作品だが、編集段階で彼が作品をダメにしたという悪評がある。「俺もオーソン・ウェルズみたいなかわいそうな野郎になるかもしれない」とホッパー。この予言は現実のものとなりつつあった。『ラストムービー』は批評家からほとんど評価されず、興業的に失敗したのだ。その後ホッパーは、1980年の『アウト・オブ・ブルー』まで映画を撮ることはなかった。

「撮影している時、デニスは『ラストムービー』がお蔵入りになるだろうことを悟った」とシラーは語る。「そして編集でダメにしてしまった。自分自身が最大の敵になる時がある。客観的な視点に立った編集ではなかったし、デニス自身が混乱していた。マリファナかLSDをやり過ぎていたのかもしれないが、それは分からない。この映画は観客に伝わらないって皆が気付いた」

Translation by Satoko Cho

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