「恐れず直感に従って生きることの大切さを、俺は彼から教わったんだ」ーマイク・D
去る5月19日、ビースティ・ボーイズの結成メンバー、ジョン・ベリーが52歳でこの世を去った。その知らせを受け、ローリングストーン誌の取材に応じたマイク・Dは次のように語った。「ジョンは俺にとって兄のような存在だった。彼は1つ年上で、高校に入学したばかりで世間知らずだった俺に、パンクがどういうものかを教えてくれたんだ」
「バッド・ブレインズかギャング・オブ・フォーのライブに行くために学校をサボるかどうか迷っていた俺は、彼に『悩むまでもないだろ』と言われて決心したんだ」マイク・Dはそう話す。「恐れず直感に従って生きることの大切さを、俺は彼から教わった。それがパンクなんだということを、彼が教えてくれたんだ」
ビースティー・ボーイズの名付け親でもあるベリーは、ニューヨークのウォルデン・スクールでマイク・"マイク・D"・ダイヤモンドと出会った。ギタリストだったベリーは、ヴォーカルのマイク・D、ベースのアダム・"MCA"・ヤウク、そしてドラマーのケイト・シェレンバックと共に、1981年にビースティーズを結成し、West 100th Streetにあったベリーのロフト、そしてアッパー・ウエスト・サイドのブロードウェイ近辺を中心に活動を開始する。
ビースティーズは1982年にハードコア・パンク色の強い7インチ『ポリウォグ・シチュー』でデビューを果たすが、ベリーはその翌年にバンドを脱退する。その後間もなくしてマイク・DとMCAは、当時ヤング・アンド・ザ・ユースレスのギタリストだったアダム・"アドロック"・ホロヴィッツをメンバーに迎え入れる。「バンドの音楽性がヒップホップ色を強めていったことを理由に、ベリーはビースティーズを脱退したんだ。直感的にそうすべきだと感じたんだろう」マイク・Dはそう話す。