モハメド・アリ、戦い続けた人生

Photo by Brian Bahr/Getty Images


それから1か月後、アリの徴兵拒否発言に処分が下され、アリのボクシング・キャリアはほぼ4年にわたって断たれることとなった。アリはタイトルを剝奪され、ニューヨーク州はアリのボクシング・ライセンスを停止。さらに6月、アリは徴兵回避で起訴され、懲役5年、罰金1万ドルの有罪判決を受ける。アリは不服を申し立て、保釈金を支払って釈放されたが、もはやアリにライセンスを支給する州はなかった。キャリア全盛期にあって、モハメド・アリはボクシングから追放され、1970年10月まで戦うことはなかったのである。この間、アリは大学キャンパスでの講演活動で、ベトナム戦争に反対し、黒人の誇りを擁護して人気を博した。この時期、アリは戦争反対の世論を刺激し、アフリカ系アメリカ人アスリートには自らの伝統と文化へのインスピレーションを与えたのである。

米国最高裁は最終的には、アリに対する有罪判決を8-0の投票結果で却下、連邦裁判所はニューヨーク州に対して、アリに対するライセンス再支給命令を出した。まもなく30歳になろうというアリは、1971年3月8日、マジソン・スクエア・ガーデンで当時のヘヴィー級チャンピオン、ジョー・フレイジャーとの"世紀の対戦"に臨んだ。この試合まで両選手とも無敗だった。アリの試合前の挑発は熾烈(しれつ)を極めた。アリは語った。「フレイジャーはチャンピオンにしては醜男すぎる。フレイジャーはチャンピオンにしては頭が悪すぎる」。さらにアリはフレイジャーを、"白人支配者階級"のお気に入りのアンクル・トムだと呼んだ。フレイジャーはこうしたアリの挑発を生涯許すことはなかったと伝えられている。この試合でフレイジャーは判定勝ちを収め、アリにプロキャリア初の黒星をつけた。

アリの敗戦はこれだけではない。1973年にはケン・ノートンに負けている。1974年1月にアリとフレイジャーの再戦が行われる頃には、フレイジャーも無敗ではなくなっていた。フレイジャーは、強打のジョージ・フォアマンに第2ラウンド、ノックアウト負けを喫してタイトルを失っていたのだ。再戦ではアリがフレイジャーを下し、今度はアリがフォアマンと戦うこととなる。

1974年10月30日、ザイールのキンシャサで行われた、"ランブル・イン・ザ・ジャングル"と銘打たれたアリ対フォアマンの試合前、アリはいつにも増して自信満々だった。アリが行く先々で、アフリカ中のファンが"アリ・ボマイエ"(ヤツを殺せ)と叫んだ。それでも、アリの応援団ですら、この試合でアリが勝てるとは思っていなかった。まして、アリがロープ際にとどまり、フォアマンの強打を浴びることで勝つことになるとは、誰も予想していなかったのである。後に"ロープ・ア・ドープ"として有名になる、フォアマンを疲れさせることを狙ったアリのこの革新的な戦略は、衝撃的なまでに効果的だったのだ。アリは第8ラウンドにフォアマンをノックアウトし、ヘヴィー級タイトルを奪回した。

Translation by Kuniaki Takahashi

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