『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』ディラン初の傑作誕生秘話

(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

正統派フォークを乗り越え、自作曲で生み出した傑作の誕生秘話に迫る。

「3週間パリにいた間、このアルバムを聴くのを止められなかった」ージョン・レノン


「とても短い時間で多くの曲を書いたんだ」とボブ・ディランは1963年のセカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』という傑作に至る、当時の創造性の爆発について語った。「当時はそんなこともできたんだ。まだ怖いもの知らずだったんだね。これまでに誰も気づいていないような何かに気がついたと思っていた。まだ誰も足を踏み入れたことのない、芸術という名のアリーナにいるような気分だった」

ディランのセカンド・アルバムは彼にとっての初の傑作であるだけでなく、ポピュラー音楽の制作方法においても画期的な作品となった。1962年のデビュー・アルバムでは2曲しか自作しなかったディランは、『フリーホイーリン』では、『風に吹かれて』『はげしい雨が降る』『くよくよするなよ』といった名曲を含む、全13曲中12曲を書いており、シンガーとソングライターとの関係を一変させた。しかも、辛らつな社会批評(公民権や核兵器による大量殺りくといった話題に取り組んでいる)からラヴロマンスの機微まで、コミカルなトーキング・ブルースから物憂げな失恋まで、ディランの作品集にはめくるめく多様性があった。

あるフランス人DJからこのアルバムをもらったビートルズは、他の音楽はほとんど聴けなかったという。「3週間パリにいた間、このアルバムを聴くのを止められなかった」とジョン・レノンは語っている。「僕らはディランに夢中だった」

デビュー・アルバムとは違い(そして、その後のほとんどのアルバムとも違い)、『フリーホイーリン』は、録音開始当時まだ20歳だったディランが、しっかりと自分の時間をかけて作ったプロジェクトだ。デビュー作の『ボブ・ディラン』がわずか2日で録音されたのに対し、この作品は1962年4月から1963年4月にかけて、少なくとも8回はスタジオに入って制作された。ディランはその間ずっと、驚くほど高速に進化していく自身の作曲能力に必死で付いていこうとするかのように、曲を書き直したり、選曲を見直し続けていたのだ。

Translation by Kuniaki Takahashi

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