ボブ・ディランとジョン・レノン、レアな二人のドライブ・ドキュメンタリーが公開

2人が実際にヘロイン(通称:ジャンク)を使用していたかどうかは定かではないが、2人の様子から判断するに、それがケミカル系ドラッグ程度のものではなかったことは間違いないだろう。ディランに出演を依頼された瞬間から、レノンはずっと動揺していたという。「『なぜ俺を出演させるんだ?俺を陥れようとしているに違いない』そう思ったよ。マジで辛い経験だった」レノンはウェナーにそう語っている。ディランが発表した『フォース・タイム・アラウンド』が、レノン作の『ノルウェイの森』への回答だとする当時のメディアの過熱ぶりを考えれば、レノンががそう感じるのも無理はなかったのかもしれない。その後もレノンは、当時のことを幾度となく口にしている。

1964年のインタビューで、レノンはディランを「世界屈指の才能」と呼ぶなど、再三にわたって惜しみない賛辞を送っているが、その逆のケースはほとんどなかった。レノンはビートルズの『アイム・ア・ルーザー』や『悲しみはぶっ飛ばせ』といった内省的なアコースティック曲が、ディランの作風にインスパイアされたものであることを公言している。そしてビートルズが世界中を席巻する中、ディランはエレクトリック路線を追求し始める。ディランのルーツにはもともとロックンロールがあったとはいえ、エレクトリック路線への転向がビートルズの影響によるものであったことは間違いない。「ビートルズがいかに自身の影響下にあるかということを、ディランは頻繁に口にしていた」ビートルズのツアーマネージャーのニール・アスピノールは、『John Lennon: The Life』の著者のフィリップ・ノーマンにそう話している。「レノンはよくこうこぼしてた。『彼だって俺たちの影響を受けてるけどな』」

この映像が撮影された1966年5月以降、2人が顔を合わせたのは、ディランがヘッドライナーを務めた1969年のワイト島フェスティバルが最後だったと言われている。レノンがディランに対する敬意を失うことはなかったものの、本映像が撮影されたこの日以降、両者の関係はぎこちないものになったと言われている。自身のヒーローのあられもない姿を間近で目にし、レノンは少なからずショックを受けたのかもしれない。ディランの『新しい夜明け』を「つまらない」と評したレノンは、その10年後に「もうディランの作品はまともに聴いていない」とプレイボーイ誌に語っている。『ゴッド』や『サーブ・ユアセルフ』の歌詞には、ディランへの辛辣な批判ともとれる表現が登場する。その一方で、ディランは後年になってレノンからの影響を自身のヴォーカルスタイルに取り入れるようになる。2012年作『テンペスト』に収録された『ロール・オン・ジョン』は、レノンに捧げられたトリビュートソングだという。

『Eat The Document』の完成版は配給会社によって却下され、現在も未公開のままとなっている。しかし本編およびアウトテイクは長年にわたって海賊版として出回っており、ロック史に名を残すリリシスト2人が対面するこの貴重な映像は、現在ではインターネット上でも公開されている。


Translation by Masaaki Yoshida

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