2パックの母、亡き息子を偲び設立した基金と芸術センターの現在

「私たちは、オスカーのイベントやそういうものに出席する時は必ず、センターのパンフレットを持って行ってたの」とアフェニ・シャクールは言っていた。



息子の遺産を守ろうとする母親の取り組みで、施設の運営の大半が行われていた。センターの立ち上げに400万ドル(約4.1億円)が必要だったが、ディナ・ラポルトの2005 年のインタヴューによると、その80%が、アフェニ・シャクールが息子の死後に遺された音源を発表するために設立した、アマル・エンターテイメントによるものだという。プラチナムディスクを獲得した2パックの11枚のアルバムのうち、7枚は彼の死後にリリースされたということもあり、2パックはまるで生きているかのように稼いでいた。しかし、2008年には1500万ドル(約15億円)を稼ぎ出した2パックではあったが、2年後の利益はその4分の1になっていた。その頃までに、2パックの未発表音源のカタログ数が少なくなっていたのだ。




2パックの従姉ジャマラ・レサン、母親アフェニ・シャクール、『トゥパック:レザレクション』の共同プロデューサーのプレストン・ホームズ、ディナ・ラポルト、叔母グロリア・ジーン(Photo by Molly Monjauze)

「多くの子供たちが、そこに通って恩恵を受けてきました」。インタースコープ・レコードの取締役副社長のデヴィッド・コーエン氏はこう話す。「多くの子供たちは、大学に進学しました。わずかな資本で、素晴らしいことをしていました。そして、資金の多くは実際に、アフェニのもの、つまり彼女の財産からだったのです」



コーエン氏は、センターの立ち上げ直後にシャクール基金委員会に加わった。アフェニ・シャクールが、インタースコープ・レコードを親会社に持つデス・ロウ・レコードから2パックのマスターテープを受け取った数年後、コーエン氏は大きな夢を持つ彼女の姿を称賛していた。一方でコーエン氏は、基金が映画館を改築するために十分な資金を持っていないことにも気づいていた。「あの建物自体が、大きな問題だったのです」とコーエン氏は言う。アフェニ・シャクールは、土地を売り渡すことを拒んでいたが、センターの閉鎖を公式に発表することなく、2015年8月に120万ドル(約1億2000万円)で売り渡した。2016年5月2日、保安官代理が通報に応じて、カリフォルニア州サウサリートにあるアフェニ・シャクールのハウスボートに駆けつけたが、その後アフェニの死亡が確認された。


Translation by Miori Aien

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