エイミー・ワインハウス:ディーヴァとその悪魔

ローリングストーン日本版 2016年8月号掲載(Photo by Ross Gilmore/Redferns)

ローリングストーン日本版 2016年8月掲載
US版翻訳アーカイヴ 2007年

デビュー作『フランク』がイギリスで高い評価を受け、セカンドアルバム『バック・トゥ・ブラック』ではグラミー賞を受賞。自身のストーリーを曲にのせ、聴く者の心を捉えて離さない歌を生み出していったエイミー・ワインハウス。2007年、彼女は絶頂を迎えていた。


自立式としては世界最高(※2007年当時)のタワーのそばで、世界一小柄なポップスターのひとりがゴミ箱の隣にしゃがみ込んでいる。両手にアイライナー・ペン シルとマスカラの束を抱えながら。5月のある午後、化粧品を入れるためのビニール袋を探して、高さ1815フィートもあるトロントのCNタワーの中庭をうろつくエイミー・ワインハウス。一方、まだ彼女のフィアンセではあるが、5日後には夫になっているかもしれない男は、私のパックから煙草を取り出してつまらなそうな顔で吸っている。ブレイク・フィールダー・シヴィル、あるいは"ベイビー"(想像をはるかに超えた抑揚でワインハウスがそう呼ぶ)は、ゴミ箱を身振りで示した。「彼女のソーダがフェイクのルイの中にこぼれちゃったんだよ」。そうしてゴミの上にあるボロボロの偽ルイ・ヴィトンを指差す。「彼女、あのバッグをずっと前から持ってたんだ」。

23歳が住む世界では"ずっと前"はちょっと前と同義だ。ワインハウス自身はずいぶん長いこと歌手をやっていると言うかもしれないが、実は10年にも満たない。あるいはベイビーとつき合ってもう何年も経つと言うかもしれないが、それはほんの2年の話で、数カ月間別れていた時期もある。大昔にケガしたという左前腕にある傷跡は、かなり最近できたもののようだ。彼女が話す時は何でもこんな感じなのだろう。


MTVムービー・アワード2007にて(Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic)

ベイビーと別れていた数カ月の間に、ワインハウスはアルバム一枚分に匹敵する量の失恋ソングを書いた(破局期間が実のところ何カ月だったのかについては、長らくフィールダー・シヴィルと相談したとしても、結局は教えてくれないだろう)。彼女はこれらの楽曲によって母国イギリスで有名になり、アメリカでも次第に名前が知られるようになった。R&Bの原点に立ち返ったアルバム『バック・トゥ・ブラック』のサウンドを例えるなら、イギリスのヒップホップ好きの若者が、60年代のモータウン・ソウルを考えられる限りベストなやり方で解釈したものと言えるかもしれない。本作でワインハウスは、当時のアメリカチャートにおける"イギリス人女性アーティストのアルバム初登場記録"を塗り替えた。プリンスは彼女の『ラヴ・イズ・ア・ルー ジング・ゲーム』をカヴァーすることが習慣になり、間もなくスタートする『21ナイツ・イン・ロンドン:ジ・アース・ツアー』ライヴで一緒にステージに立つことを示唆した(※実際にはライヴのアフターショーで共演)。アークティック・モンキーズは『ユー・ノウ・アイム・ノー・グッド』のアレンジしたバージョンをツアーのセットリストに加え、ヒップホップの大物MCたちもワインハウスに賛辞を送っている。ジェイ・Zは彼女のヒットシングル『リハブ』のリミックスに参加、スヌープ・ドッグは彼女の熱烈なファンであることを公言。『ユ ー・ノウ・アイム・ノー・グッド』に圧倒されたゴーストフェイス・キラーはこのトラックでラップし、アルバム『モア・フィッシュ』に収録した。


Translation by Sayaka Honma

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