ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実

クリーヴの記事がデイトブック誌のアーサー・ウンガー編集長のデスクに届けられるまで、レノンの発言は何カ月間も眠っていた。この雑誌は、ティーン女子の取るに足らないくだらない刊行物と評されたことがあったが、実はエンターテイメントだけでなく深刻な社会問題や政治を扱う、当時の限界に挑戦する雑誌だった。ゲイ男性として歓迎されない文化に属していたウンガーは、どのように少数派が抑圧され、馬鹿にされているか直接見ていた。そしてそれは、編集者としてのウンガーの考え方に影響を与え、社会正義に目を向けさせた。ロック史はウンガーを、センセーショナリズムを利用した日和見主義者として描いているが、彼が目指していたのはもっとずっと利他的なものだった。「この雑誌は、…若者を助けようとする真摯な挑戦だった」とウンガーは後に語っている。

ウンガーは、ラモーンズやMC5、イギーポップを見出し、育て、後にパンクの立て役者となったダニー・フィールズを編集主幹に迎えた。二人は共同でジョン・F・ケネディーが設立した平和部隊についての記事や、家父長制社会への抗議エッセイ、黒人差別法を批判する記事を発表した。他にも黒人の選挙登録を目的とした1964年のフリーダム・サマー・プロジェクトや、学生非暴力調整委員会(SNCC)、全米黒人地位向上協会(NAACP)、人種平等会議 (CORE)への登録情報についても特集記事で取り上げた。1960年代のティーン誌としては画期的だった。

ウンガーの仕事はビートルズ陣営から好意的に受け入れられ、デイトブック誌はビートルズの独占コメントやちょっとしたスクープを手に入れることもあった。ウンガーはその後ビートルズの全米ツアーに同行し、彼らと友好的な関係を築いた。1965年のツアー記事には、米国南部の人種差別撤廃を支持するリンゴ・スターの発言が引用された。「人種差別なんて本当に馬鹿げている。人は人でしかなく、違いはない。観客が人種別に分けられている南アフリカでは、僕らは絶対に演奏しない。本当に馬鹿げているよ」

ウンガーがビートルズを単なるマッシュルームカットのアイドルとして書かなかったことに感謝し、ビートルズはクリーヴ同様にウンガーにも資料を送り続けた。「1966年には(デイトブック誌は)英国からビートルズの独占記事を購入するようになり、発行部数は飛躍的に伸びた」と後にフィールズは語っている。クリーヴのビートルズについての記事がイブニング・スタンダード紙から出た後、ビートルズの広報担当のトニー・バーロウはウンガーにこんなメモ書きを添えて記事を送った。「この記事のスタイルや内容は、デイトブックの趣向に合っていると思う」

バーロウは正しかった。9月号に掲載した異人種間交際を支持した記事も、米国南部の固執した価値観を持つ人々をイラつかせるにはピッタリだったようだ。ウンガーはクリーヴの記事から2か所引用して表紙に掲載し、人種差別と宗教という2本柱を攻撃した。一つはポール・マッカートニーの「黒人全員を汚れた×××呼ばわりする、うんざりする国」という発言だった。そして怒りの導火線に火を付けたのは、レノンのこの言葉だった。「ロックンロールかキリスト教、どちらが先に消えるかは分からない」デイトブックのこの号は7月29日にスタンドに並んだ。爆弾が爆発するのは、もはや時間の問題だった。

デイトブック誌は、アラバマ州バーミンガムのWAQY("Wacky Radio":イカれたラジオ)のディスクジョッキー、トミー・チャールズの目に留まった。ディスクジョッキーが過激な発言をする最近のラジオ番組の先駆的存在だったチャールズは、トップ・フォーティーの早朝番組で使えるネタを、定期刊行物の中から日々探していた。炎上しそうなレノンの発言を使えば、番組はすぐに話題になりそうだった。歯に衣着せぬレノンが宗教の残念な現状について物申したことは、チャールズには本当はどうでもよかった。彼はパートナーのダグ・レイトンと共同で緊急の"ビートルズ禁止"キャンペーンを開始し、レノンの“冒とく的”発言の報復としてネットワークで彼らの曲をかけることを拒否した。

Translation by Cho Satoko

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