EDMよ永遠なれ スティーヴ・アオキの終わりなき挑戦

自身のドキュメンタリーがNetflixで公開中のスティーヴ・アオキ:かつて周囲から蔑まれた少年がEDM界の頂点に昇りつめるまで (Photo by Caesar Sebastian)


『I’ll Sleep When I’m Dead』でも、父・ロッキーという存在がスティーヴに与えた影響は描かれている。不在がちだったロッキーは、スティーヴの音楽に対する情熱を決して認めようとしなかったという。「父はいつもこう言ってた。『俺はお前が音楽にうつつを抜かして、死ぬまでバーテンダーとして小銭を稼ぐような人生を送ってほしくないんだよ』」大学の学費の一部を負担してもらった点を除けば、スティーヴは父親からほとんど経済的援助を受けなかったという。スティーヴは父親を恨むことはなかったが、自分のことを誇りに思ってもらいたかったと話す。子どもの頃、スティーヴはフットボール選手になって、学校の人気者になりたかったという。「クールな存在になりたかった。でも俺にはハンデがあった」クールなふりをしているチビのアジア人と自身を形容するスティーヴは、常に人種差別の対象となった。周囲の子どもたちは彼を蔑み、石を投げつけられたこともあったという。しかし彼がスケーターやパンクスたちと交流を持つようになり、年齢層の多様なハードコアのライブに足を運ぶようになると、状況は変わり始めたという。「俺は髪を剃り、腕にストレートエッジを意味するXのタトゥーを入れ、ギターを弾くようになった。やりたいことを見つけたんだ」大学では女性学を専攻し、ベジタリアンのコミュニティに参加したスティーヴは、活動家の仲間たちとともにムミア・アブ=ジャマールの解放を訴えた。

しかし同時に、父親に自分のことを認めさせるためにも、彼は経済的成功を収めることにも貪欲だった。本人による店内でのパフォーマンスも話題となり、ロッキー青木が創業した日本食レストランのBenihanaは大きな成功を収め、彼はセレブレティとしてのライフスタイルを謳歌した。DJでありながら、ロックスター顔負けのクラウドサーフィンとヘッドバンギングを得意とするスティーヴのショーマンシップは、まぎれもなく父親から受け継いだものだ。彼がヒーローと崇めるダフト・パンクが決して素顔を見せないのとは対象的に、アオキはあごひげをトレードマークとする自身の顔のロゴTシャツやポスター、さらにはドローンまで販売している。彼の自宅には、ポップアート調で描かれた彼の巨大な肖像画が、少なくとも6枚飾られている。

アルコールライセンス用の指紋採取から数時間後、ベガスの高級クラブHakkasanで行われたアオキのショーでは、すし詰め状態のフロアから『スティーヴ・アオキ!』のコールが鳴り響いた。垂木にはファイバーグラスのようなもので作られた、彼の巨大なロゴが2つ吊るされている。当日のセットで、アオキはニルヴァーナやドレイク、そしてダフト・パンク等のトラックをプレイした。DJブースによじ登り、両腕に装着したキャノン砲のような装置からスモークを放出する彼の姿は、信者たちを目の前にEDMという経典を読み上げるサイボーグの僧侶を思わせる。かつて学園のフットボール選手たちから疎外された自分が、こういった華やかな舞台で羨望の眼差しを集めることに違和感を感じることはあるかという問いに、彼はこう答えた。「少しはね。でも俺は、音楽は敷居の高いものじゃないと信じてる。子供の頃に俺のことを差別したようなやつらとも、一緒に楽しみたいんだ。俺のやりたいこと、それは一人でも多くの人にポジティブなエネルギーを届けることなんだよ」

Translation by Masaaki Yoshida

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