スケートボードのオリンピック種目採用:アンチ・スポーツな若者たちの行き場はどうなる?

スケートボードが2020年東京オリンピックの追加種目のひとつに決定した(Photo by Alejandro Godinez/Clasos.com/LatinContent/Getty Images)

「スケーターは、社会からの落ちこぼれの集団さ。アスリートなんかじゃない!スケートボードは犯罪さ。スポーツなんかじゃない」
ーーブレイドン・スザフランスキー(プロスケーター)


ついに正式決定!「スケートボードはスポーツです」。

スケーターたちは長い間、スケートボードがスポーツかスポーツでないかというカテゴリー分けを嫌ってきたが、それは当然の流れだった。90年代、"エクストリーム"という危なっかしい名の下にエナジードリンク系企業などがスポンサーとなり、スケートボード、スノーボード、BMXやさらにはローラーブレードまでもがひとつの大きなコマーシャリズムにグループ分けされ、それが後にXゲームズを生み出した。スケートボードは、ただカッコいいものという枠を超えて巨大化し、ついに2016年8月、国際オリンピック委員会(IOC)は2020年東京オリンピックの正式種目にスケートボードを加えた。

有名なドッグタウンのZボーイズに象徴されるはみ出し者や変わり者、一匹狼の多いスケートボードの第1世代は、かたくなに「スケートボードはスポーツではない」というスタンスを崩さなかった。彼らは一日中ボードに乗って過ごす社会からの脱落者や燃え尽き症候群の連中で、金髪のヘッドクウォーターやメジャーリーグのピッチャーを目指す人間とはかけ離れていた。ジェイ・アダムス(Zボーイズのオリジナルメンバー)やタイ・ペイジ(70年代初頭のスケートボード黄金期を牽引したレジェンド)のような人間にとってスケートボードは、ライフスタイルでありアイデンティティであって、スポーツというよりは芸術であり、一度始めたらやみつきになる中毒性の高いものだった。スケートボードは個人主義、独創性、自己創造力を育み、アーティストが独自のスタイルや流行を作り出すのと同様、スケーターもトリックやスポット・セレクションを生み出して、スケートボード特有の美学を確立した。偉大なスケーターになるために何かを勝ち抜く必要はなく、ただボードに乗りさえすればよいのだ。

個人主義の志向が強いスケートボードも、60年代のスラロームレースに始まり、今日までさまざまな競技が行われている。80年代のハーフパイプでのフリースタイル・イベントにおけるロドニー・ミューレン、トニー・ホーク、クリスチャン・ホソイの激しい争いはスケートボード人気に火をつけた。しかし、90年代初頭からはスケートボード人気にも陰りが出はじめた。激減したスケートボード人口を回復するため、スケートパーク・オブ・タンパなどは、コンペというよりは伝統的なスタイルを重視したコンテストを開催するようになった。そしてアメリカのケーブルネットワークESPNが主催するメガイベントのXゲームズでは、多くのスケーターが従来スタイルのスケートボードの終焉を感じた。しかし1999年に開催されたXゲームズVではトニー・ホークが初の900°(2回転半)を決めるなどして盛り上がりを見せ、Xゲームズはスケートボード人気の回復に貢献したといえる。その後スケートボードは世界規模に広がり、デンマークのコペンハーゲンからアフガニスタンのカブールまで、世界中に星の数ほどのスケートパークが出現し、若者たちがこぞってスケートボードのデッキ(ボード)を買い求めるようになった。それからスケートボード人気を象徴する出来事が続く。ライアン・シェクラーとロブ・デューデックはどちらもリアリティショーに出演。トニー・ホークはゲーム開発会社アクティビジョンと組んで、多くのプロスケーターも登場するゲーム『Tony Hawk’s Pro Skater』をリリースし、数百万ドルを売り上げた。バム・マージェラが自主制作した街中でやりたい放題のスケートボード・ビデオ『CKY』は、後にMTVの人気ビデオ『Jackass』につながった。2002年までには世界のスケートボード人口は1,250万人に達し、2009年時点で世界のスケートボードの市場規模は約48億ドルと試算された。

Translation by Smokva Tokyo

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