ボブ・ディランが『追憶のハイウェイ61』でロックの歴史に残したもの

「ブルース弾きの俺が呼ばれたってことは、ディランがチョーキングを多用したブルースを求めていると思ったんだ」ブルームフィールドは振り返る。「でもディランに言われたんだ。"おいおい、誰がB.B.キングをやれって言った?"ってね」。ディランの頭の中ではもう理想のサウンドが思い描かれていた。そして週明けの火曜日、ニューヨークにあるコロンビアのAスタジオに入った。本人曰く、ブルームフィールドは音楽ディレクターのような役割を果たしたという。プロデューサーのトム・ウィルソンは、アルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム(原題:Bringing It All Back Home)』にも参加したポール・グリフィン(キーボード)、ボビー・グレッグ(ドラムス)、そして恐らくブルース・ラングホーン(ギター)などのスタジオミュージシャンに声をかけていた。彼らはまず『悲しみは果てしなく(原題:It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train To Cry)』の躍動感のあるバージョンを10テイク録り、その時は『ジェット・パイロット(原題:Phantom Engineer)』というタイトルをつけた。さらにロック色の強い『有刺鉄線の上で(原題:Sitting on a Barbed Wire Fence)』を6テイク録音した。

2015年に発表されたアルバムセット『ザ・カッティング・エッジ1965-1966:ザ・ブートレッグ・シリーズ第12集(原題:The Cutting Edge 1965 – 1966: The Bootleg Series Vol.12)』など各ブートレッグ・シリーズには各曲のさまざまなバージョンが収録されており、どのように『追憶のハイウェイ61』が作り上げられていったかを知ることができる。前作『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム(原題:Bringing It All Back Home)』ではディランのアコースティックギターがベースにあったが、『追憶のハイウェイ61』ではブルームフィールドのエレキギターがポイントで、ブルースをベースにカントリーやロカビリーまで広がりを見せた。次に彼らは『ライク・ア・ローリング・ストーン(原題:Like a Rolling Stone)』を5テイク録ったが、なかなか曲が固まらなかった。4テイク目を録り終えたところでディランが「もう声が出ないよ」と音を上げた。

レコーディング2日目、21歳のアル・クーパーがセッションに飛び入り参加した。クーパーはギタリストだが、スタジオではオルガンの前に座り(彼いわく"暗闇で子供が電気のスイッチを手探りするように")、曲に合わせて弾いた。「このレコーディングでは素人同然で、いい教訓になったよ」と、クーパーは最近白状している。

クーパーがオルガン、グリフィンがピアノを担当し、『ライク・ア・ローリング・ストーン』を2回リハーサルした後、4つのテイクを録音しながら曲を完成させていった。その時点でもうあの歴史的な曲は完成していたのだが(当時の彼らには知る由もないが)、彼らは試行錯誤しながらさらに11テイク録音した。

シングルは1965年7月20日にリリースされた。ラジオ局向けの初回盤は、6分間の曲をシングル盤のA面とB面に分けて収録した。しかしファンたちは「1曲を通しで聴きたい」と主張し、それが実現した。「時が永遠に続くように思えた。とにかく美しい曲だった。ディランは俺たちみんなに"誰もがもう少し前向きに生きられるんだ"ということを教えてくれた」とポール・マッカートニーは、ジョン・レノンの家でこの曲を初めて聴いた時の印象を語っている。

Translation by Smokva Tokyo

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